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「会いたいときに会いたい人に会える社会」を現実に!
―多くの国民(ユーザー)に愛されるオンラインゲーム会社を目指して―

株式会社マイネット 上原仁

株式会社マイネットの代表取締役を務める上原社長、「会いたいときに会いたい人に会える社会」というビジョンを実現させるフィールドに選んだのがソーシャルゲームを始めとしたデジタルコンテンツです。小学5年生から起業に憧れ、着実に階段を登ってきた上原社長の起業家人生に迫りました。

上原 仁
株式会社マイネット  代表取締役社長

1974年生まれ滋賀県出身。1998年神戸大学経営学部を卒業後、NTT(日本電信電話株式会社)へ入社。NTT光戦略会社立ち上げに参画し、後にNTTレゾナント株式会社にてポータルサイト「goo」のサービス統括事業に従事。2006年7月株式会社マイネットを創業し代表取締役社長に就任、現在に至る。

「起業家になりたい!」と夢を抱いた松下幸之助の一言

―自分の会社を立ち上げ起業家となられた上原社長ですが、幼い頃の夢は?―

小学5年生の時に将来なりたいものを決めたのです、それが「起業家」でした。「将来は絶対に起業するんだ!」と、小学生ながらかなり明確に考えていましたね。そう考えるようになったきっかけは、松下電器産業株式会社(現パナソニック)を一代で築き「経営の神様」とまで呼ばれた松下幸之助さんでした。当時僕が愛読していた小学生向けの月刊誌に「松下幸之助伝記」という伝記が載っており、その偉大な功績と類まれなる経営センスに大きな衝撃を受けたのです。

それからは、起業をして経営者となるために必要な事を、全て逆算して考えるようになりました。まず、最終的には学生の内に経営の勉強をしなければいけない、その場合大学は経営学部に進学する必要があるな…と、すぐに思いました。しかし、経済的に考えると国公立の大学を選択したいと思いましたが、経営学部のある国公立大学は全国でも神戸大学と横浜国立大学の2校のみだったのです。僕は滋賀県に住んでいましたので、「じゃあ神戸大学や!」と、11歳にして志望校を決めてしまいました(笑)。そして、そのためには県内でも有数の進学高校に進学しなければ厳しい、その場合中学校では学年で10番以内の成績をキープする必要がある…といったように、どんどん逆算して考え、かなり現実的な未来予想図を描きました。

―その後自身が描いた将来設計はいかがでしたか?―

バッチリでしたね。自分で設計した通りの道を歩み、第一希望だった神戸大学経営学部に進学しました。将来のために経営の勉強をする一方、大学時代はアルバイトに命をかけていました。大学1年生の6月頃から、家庭教師のトライでスタッフを派遣する仕事を始めました。広告を打つところから担当し、営業をして契約を結び、教師を手配して…といったように、バイトというより一企業で仕事をする感覚に近かったように思います。当時は社員1人とバイト学生30人で日々の業務を回していましたので、学生ベンチャーの走りとも呼べる事業スタイルでした。幼い頃から起業に憧れ、大学に入学をすると「起業したい」という想いはますます強くなっていましたので、アルバイトという立場でありながら実際にビジネスができたことは大きなプラスでした。基本的なスキルはほとんど当時のアルバイト時代に培われたものです。というより、現在進めている事業と大差ない事をしていましたので、本当に貴重な経験でした。

さらに、大学2年の1月に阪神・淡路大震災を経験したことも大きなきっかけでした。発生直後すぐにボランティアを始めたのですが、もっと自分にしかできない事をすべきなのではないか?と考えるようになったのです。「自分にできること」を追求した結果、当時持っていた家庭教師の人脈を使い、主に中学3年生を対象とした無料塾を開講することにしました。自分達でチラシを作り、神戸市内のありとあらゆる避難所を回りシェアしてもらいました。「震災に負けるな!」と地道に呼びかけた結果、テレビやラジオでも取り上げてもらいました。そして、10日間で400人を越える人が集まったのです。無料塾は1ヶ月のみでしたが、通常営業に戻った途端にびっくりするほど多数の問い合わせをいただく日が続きました。その後の売上利益も例年とは比べ物にならないほど高い数字になったのはさすがに驚きましたね。。「信頼のトライがやったことは素晴らしい!」というクチコミが広がり、結果としてお客様がトライを選んでくださるようになっていました。

入社半年で同期の中でトップの売上を誇った―NTT時代

―NTTではどのような仕事をされたのですか?―

新卒でNTTに入社をすると、西日本の営業本部へ配属となりました。まず研修として課されたのが、半年間個人宅への訪問や個人商店を回ってSDNやNTTグループカードを販売していくというものでした。いわゆる飛び込み営業ですが、学生時代にアルバイトでの営業の経験があった僕にとってはお手のものでしたね。終わってみれば同期2,500人の中で1番の売上成績となっていました。おかげでその後の配属も自分の希望をかなり聞いていただき、法人営業の企画開発として、光ファイバー系の企画開発を経験することができました。そして、26歳の時に光ファイバーを使った新しい映像配信の事業と子会社の立ち上げを任され、東京に上京したのです。2年半映像配信の事業でプロデューサーを務め、その後にNTTレゾナントでポータルサイト「goo」の事業に従事しました。法人営業、法人企画、商品企画、映像配信事業の立ち上げと幅広く経験を積むことができました。

―2002年当時に映像配信事業とはかなり時代の先駆けですね―

そうですね、当時はブロードバンド黎明期で、多チャンネルの時代がくると考え新たに立ち上げました。「BROBA」というブランドで子会社を作り、課金型の映像配信モデルを起ち上げました。形としては「Gyao!」に近いサービスでしたね。

僕はニュース系のプロデューサーとして、BBCの24時間ライブ中継や国内のニュース番組をネットで同時に配信していました。ニッチなところでは、国会テレビのライブ配信も行っていましたよ。しかし、やはり時代が早かったこともあり思ったように収益が伸びず、気づけば2年半で資本金を溶かすことになってしまいました。めったに経験できないことではありますが、僕の中では大失敗の黒歴史に近い事件ですね。その後はgooで事業開発やサービス運営に関わりました。今でいうペルソナマーケティングを行い、ユーザーごとに適切なサービス設計を行ったり、mixiの立ち上げ時期と重なったことから、mixiのコミュニティ検索機能をgooのエンジンで作ったこともあります。お互いに月間1億円の売上が出るサービスとなりました。

満を持しての起業―katy(ケイティ)立ち上げ、売却を経てデジタルコンテンツ事業へ

―その後ついに起業を果たすわけですが、当初の事業内容を教えてください―

2006年に31歳で会社を立ち上げて最初にリリースをしたサービスが、当時国内初のソーシャルニュースサイトとして話題となった「newsing」です。「会いたいときに会いたい人に会える社会」というビジョンを起業以前から描いていたので、人と人が時空を超えて繋がり合うことができるインターネットのソーシャルな世界はとても興味がありました。

newsingは、登録しているユーザーが記事をピックアップし、コメントや記事へ評価ができるサイトになります。200万以上のユーザーに登録をしていただきましたがマネタイズにはかなり悩みました。さらに、当時はガラケーの成長速度が急激に伸びていましたので、携帯での事業も考える必要があるだろうと思っていました。そこで、新たなサービスとして立ち上げたのが、「katy」なのです。「katy」はオリジナルのモバイルサイトを作成できるツールの1つです。登録をしたのちにナビに沿って入力をするだけでドコモ、au、softbank対応のモバイルサイトが作れます。さらに、メール配信やQRコードを使い会員を集めることもできますし、クーポンを発行できたり予約フォームを設置することで来店を促進することも可能なのです。

最終的に3万人の会員を集めることができ、その内1割弱が有料の会員でした。この3,000人の有料会員へ、残り9割分の無料会員の広告枠と被リンクを全て充てたところ、集客能力がぐっと高まり、無料会員も同時に増えたのです!また、実際に集客能力が上がったことで、無料会員から有料会員へチェンジする人もいましたので、とてもうまく循環したと思います。

―そのkatyをヤフーへ売却されたのはなぜですか?―

次第にガラケーが伸び悩むようになり、スマートフォンも徐々に市場に出始めました。次のステップを考えれば、2~3年で事業もサイクルを回す必要があることは明白でしたね。「ガラケーだけではマズイ…」そう考えるようになり、katyでもスマートフォン向けのサービスを作りました。しかし、これがびっくりするほどウケが悪くて(笑)「こんなに伸びないものか」と思ってしまうほど、全く伸びなかったのです。さらに、こちらが出すサービスに対する売上というところで考えるとkatyは割に合っていないと感じることも多く、すでに相当合理化が進んでいる飲食業界のマーケットでは今後成長し続けるのは難しいのではないかと感じるようになったのです。僕は会社を立ち上げた時に「100年成長し続ける会社にしよう!」というコンセプトを持っていました。この業界で、今後も成長を続けながら稼ぐことができるのかと考えた時、残念ながら非常に難しいという結論に達したのです。すでに社内ではスマートフォンのゲーム事業も立ち上がっていましたし、katyは1回リセットをするという意味でも価値を感じてくれる企業にお譲りしようと思い、売却を決意しました。

デジタルコンテンツの可能性―スマートフォンゲーム事業の未来予想図

―現在の事業について教えてください―

現在は「エンジェルマスター」「大激闘!キズナバトル」「ファルキューレの紋章」という3タイトルのスマートフォンゲームを運営しています。また、他社パブリッシングのゲームも積極的に制作、運営を行っているところです。今後はスマートフォンゲームをさらに伸ばしていくことはもちろん、デジタルコンテンツでの新サービスも考えていく必要があります。F2P(Free to Play、※基本無料)のデジタルコンテンツ都度課金サービスは、4年前までほとんど売上の立っていないサービスでした。それが今や1兆円市場のサービスですから、想像以上に早い速度で伸びていることが分かりますよね。現実のリアルな商材で売上を立てている業界は、すでに色々な会社が切磋琢磨していいものをより安く販売しようとしていますし、実際にそうなっています。しかし、デジタルコンテンツというサービスはまだまだ未開拓で、より洗練されたサービスを生み出すことで相応の売上・利益は十分に期待できるのです。今はゲームに特化していますが、将来的にはデジタルコンテンツ課金全体にシフトしたサービスにしていくことが目標です。

当初思い描いた「会いたいときに会いたい人に会える社会」というビジョンは、現在のオンラインゲームの世界ではまさに実現できているので、僕の理想ともがっちりハマった感じはありますね。つまり、1つのゲームの中には5万人の人が住んでいるわけで、1つ1つが街であり国なのです。そこにどんどん施設ができ上がり、人と人が繋がって社会を形成する。そうした国(ゲーム)を気に行って楽しみたい国民(ユーザー)が経済活動(課金)を行う…そう考えています。UIデザイナーはいわば街をデザインするアーティストですし、カスタマーサポートは国民のニーズを掬う議員さん。ゲーム運営は国の為政者が活動をするのと同じことなのです。

―現在の主軸はスマートフォンゲーム事業ですが、今後の展開についてはどのようにお考えですか?―

スマートフォンゲームにおいては、国民となるユーザーに満足してもらえるようなサービスを作ることが大前提だと思っています。そのためにオンラインゲームの事業を進めていくことが目標とすべき未来の形です。そして、オンライン事業者として特に運営能力が高いことが弊社の強みなので、運営能力で1番と言えるような存在になりたいと思っています。現在は自社パブリッシングと他社パブリッシングの両方を行っていますが、運営を続ける中で何をするとユーザーの皆さんはアクティビティが高まり、より多く対価を払ってくださるのか統計を元にノウハウを積み上げていきたいです。ノウハウを活かしたゲームを増やしたら増やしただけそこに集まる人の数が増えますので、最終的には最も多くの国民(ユーザー)が集まるオンラインゲーム企業になりたいです。

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

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