理工学部から商社、そしてITの世界へ足を踏み入れた中村壮秀氏の“ワクワク・ヒリヒリ”な仕事論
- 中村 壮秀(なかむら まさひで)
- アライドアーキテクツ株式会社 代表取締役社長
1974年東京都生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。1997年、住友商事株式会社を経て、2000年、株式会社ゴルフダイジェスト・オンラインに参画。eコマース事業の統括を行う。2004年、東証マザーズに上場。2005年8月、アライドアーキテクツ株式会社(最寄り駅:恵比寿)を設立。2013年11月東証マザーズに上場。『モニプラ』をはじめ、企業におけるSNSのマーケティング活用を支援する多様なサービスを日本、台湾、タイなどアジア各国で展開。2014年シンガポールに子会社ReFUEL4 Pte. LTD. を設立。SNS広告制作クラウドソーシング「ReFUEL4(リフュールフォー)」を世界各国の企業・デザイナーに提供している。
企業と個人を結ぶソーシャルメディア。膨大なデータが最大の武器
―アライドアーキテクツの事業内容についてご説明をお願いします。
主にフェイスブックやツイッター、インスタグラムといったソーシャルメディア(SNS)を活用した企業のマーケティングを支援しています。
具体的には、SNSを通じて発信されたさまざまなデータを活用し、それぞれの企業様にとって最適で効果的な「プロモーション活動」と「広告配信」を実現するサービスをご提供しています。
メイン事業である『モニプラ』は、SNSのユーザーに向けて、写真コンテストやアンケート調査、クーポンの配布、動画視聴といった10種以上のプロモーションキャンペーンを容易に行うことができるサービスです。こうしたキャンペーンがSNS上で広がることによって販促効果を高めたり、企業のファンを増やして、さまざまなマーケティングに活用したりすることができます。
―SNSマーケティングの特徴や課題点を教えてください。
これまで、「どんなサイトにアクセスしたか」「どんな商品を買ったか」といった消費者の“行動データ”は企業のマーケティングでも活発に利用されてきましたが、今後は「どんなことに興味があるのが」「どんな情報に反応しているのか」……といった“感情・思考データ”が、非常に重要になっていきます。私たちは、SNSを通じてこういったデータを蓄積し、マーケティングに役立てたいと考えています。 その手段の1つとして今、注力しているのが、データによるSNS広告の最適化です。
ツイッターやフェイスブックを使っているみなさんなら、広告は広告でも「自分にとって比較的、興味のある内容」の広告が優先的にタイムライン上に表示されていると感じたことがあるでしょう。今までは広告というと、テレビCMのように不特定多数の人に向けて発信するだけのものでしたが、最近はそれぞれのユーザーのアクションから、そのユーザーにとって価値の高いものを表示できる仕組みができつつあります。
一人ひとりのアクションからその人の「困っていること」「求めていること」を割りだし、そこからオススメの商品やサービスをご案内し、商品を買ってもらい、アンケートなどで評価していただく。企業はそれをもとに、さらにいい商品をつくる――といったように、広告が、個人と企業を結ぶコミュニケーションツールになっているんです。
ですからこれからは「誰に」「何を」伝えるかがとても重要になっていきます。我々は早くからSNSマーケティングを専業としていましたので、他社に負けない膨大なデータ資産がありますが、これをどう使い、どうやればより「ひとりの個人」に向けた最適なアプローチができるのか、それを今後とも考え続けなければならないと思っています。
―これまで一方的で、ともすればユーザーを遠ざけかねない存在だった広告が、SNSによって企業とユーザーをより近くに結び付けるものへと変化していっている時代なのですね。
今まで、SNSはあくまで消費者との「ゆるいつながり」を生み出すもので、影響力は限定的だと思われていましたが、広告システムの急速な進化によって、最近は大手企業もSNSのマーケティング効果の高さに注目するようになっています。
また、SNSは消費者と生産者が直接つながれるので、消費者の声がリアルに届くし、その声を商品開発にフィードバックさせやすい。消費者にとっても自分の声が届いたと感じられたら嬉しいですよね。
そういった意味でも、SNSは企業と個人の間に非常にいい関係を築いていくと感じています。
―ほかに、課題としている点はありますか?
やはり業界の進化のスピードが早いということですね。SNSの機能ひとつとっても、日々目まぐるしく変化し続けています。ついていくのは大変ですが、そのスピードに対応できる組織だけが生き残っていけるものです。
時代の変化に対応するためにも、クライアント企業が今、何を欲し、何に不満を感じているのか。どういう付加価値をつけるべきか……そういった情報の共有と改善の、回転速度を速めることを常に念頭に置いています。それを考えるのが、商売の基本でもありますからね。
今の仕事につながるきっかけを得た学生時代
―中村さんは昔から経営者になりたいと思っていたのでしょうか?
あまり意識はしていませんでしたが、両親の影響をかなり受けていたと今になっては思います。両親はともにソニーの社員だったのですが、非常にベンチャースピリッツに富んだソニーの話をよく聞かされていました。だから自分もいずれ、ベンチャーや経営に関わることになるかな?と考えていました。
―学生時代に注力したことは何ですか?
理工学部だったんですけれど、よく友人たちと欲しいものを考えては、試作品をつくったりしていましたね。実現はしませんでしたが、いわゆる「ユビキタス」の概念を取り入れたモバイルコンピューティングの仕組みを考えて特許を取ろうとしたこともありました。
といっても僕自身は研究者向きではなくて、どちらかというと営業をしたり、プロデュースをするという立ち回りをしていました。ただ周りはすごく優秀なエンジニアばかりで、彼らと話しているだけで楽しかったし、刺激を受けましたね。
弊社では創業のころから「ギークとスーツの共存」を理念のひとつとしています。エンジニア側とビジネス側、双方が活発に意見を交わし合う狙いがあるのですが、これはそのような学生時代の経験による部分も大きいかもしれません。
あと、僕が入学した1994年はインターネット黎明期。「モザイク(Mosaic)」というWEBブラウザが慶応大のワークセッション室に導入されたことがきっかけで、どっぷりとインターネットの世界に入りこみました。でもこの時点では、それを仕事にしようとは考えていませんでしたね。
―お忙しかったと思いますが、バイトは何をされていましたか?
塾講師や、ファーストフード店とか……結構いろいろやりました。でも一番は、その後の人生を大きく左右したゴルフショップでの接客バイトでしたね。横浜にあるお店だったのですが、お客様に中小企業の社長さんが多かったんです。
いろんな社長さんのお話し相手をしているうちに気に入られて飲みに連れて行ってくれたり、一緒にゴルフもやったり。世の中の面白いことをたくさん聞くことができました。
インターネットの可能性を信じ、自分で事業を動かしたい―その想いがつながって
―理系の学生は研究職やメーカーの研究員として推薦入社するというイメージですが、新卒で商社である住友商事を選ばれた理由は?
商社にいる人はみんな活き活きとしていたんです。一人ひとりが自分の店の看板を持って、個人商店を営んでいるような雰囲気がありました。メーカーに入って黙々と研究に没頭するのは、僕自身があまり向いていないようにも思いました。
住商の仕事は本当に楽しかったです。リテール(小売り)部門のフードビジネスを担当していまして、そのなかでも一番いい経験になったのは、イタリアで展開していたカフェレストランの日本出店を実現した時ですね。バイトの採用から店舗の運営まで全部やりました。
入社して2年目の若いうちに大きな裁量権を与えてもらい、実際に組織を回す立場になったので、自信もつきましたね。
―ゴルフの総合サイトを運営するゴルフダイジェスト・オンライン(以下、GDO)に参画したきっかけをお聞かせください。
先ほども述べましたが、学生時代からインターネットバカになっていて(笑)。今の仕事も楽しいけれど、これからどう見てもインターネットの時代が来るだろうし、この大きな流れに乗って自分もネット関係でビジネスをやりたいと思いました。
何か自分でできることでおもしろいサービスはないか、と思い至ったのが、バイトで興味を持ち、趣味でもハマっていたゴルフです。
ゴルフ関係のメディアで最も有名なのがゴルフダイジェストだったので、アポをとって新事業をやらせてくれと頼んだところ、ちょうど先方もオンラインサービス事業を始めて分社化しようという計画があったそうなんです。そこで是非、一緒にやらせてくださいと。ほぼ即答でした。それが1999年、26歳の時です。
―GDOに携わって壁に感じたことはありませんでしたか?
壁だらけでした。ゴルフ用品のeコマースを立ち上げたものの、全く売れなかったり、在庫切れを起こしたりして、難題ばかりでしたね。
当時はeコマースというのもまだまだ定着していないし、業界からしたら新参者ですので、受け入れてもらうには相当、苦労しました。特に販売業というのは信頼関係が第一ですから、その構築には骨が折れました。
それでも「1年後には月商1億にする」と意気込み、メーカーや問屋とも粘り強く交渉しました。1年で月商1億にできるなんて確証はなかったですけれど、信頼を勝ち取るために死にもの狂いでしたね。でも1年後には、本当に1億達成できましたよ。
ソーシャルの時代の到来を直感し、アライドアーキテクツを起業
―2005年、アライドアーキテクツ起業のきっかけを教えてください。
GDOでeコマース事業をやらせていただくなかで、今まで法人のものだった「メディア」が個人へ移っていく、そのパワーシフトを感じました。ブログを無料で開設し、そこで自由に発言したり、物を売ったり……画期的だし、情報の流通経路が変わっていくはずだと直感したんです。
ゴルフの業界では1番にはなれましたが、もっと幅広いフィールドで、ソーシャルメディアを活かした事業をやってみたいという想いが強くなったのが、起業のきっかけになりますね。
―実際に起業して、ギャップに感じたことはありましたか?
立ち上げたものの、最初はとにかく全然ダメでしたね。どのサービスもうまくいかなくて……。IT業界はそんなに甘くなかったというか、GDOは「ゴルフ×インターネット」という掛け合わせだったからこそ勝てたんだな、ということを痛感しました。
―一瞬でも、諦めようという想いはなかったんでしょうか。
ところがそれは全くなくて(笑)。あっけらかんとしてるんですよ。ダメだったらじゃあまた次、がんばろうか!みたいな感じでしたね。
失敗しても「失敗したな」と思えないんです。あの発明家のエジソンが「私は失敗しているのではない。上手く作用しない1万通りの方法を発見しただけだ」というような言葉を残していますが、まさにその通りだと思うんです。
こう考えるのも、理工学部という研究分野にいたせいもあるかもしれません。常に仮説検証をし続けていましたから。だから“失敗して当然”という考え方が、今もずっと根底にあります。
もちろん、経営者として「失敗したらどの程度の被害があるか」は考えますが、うまくいかずに転んでも、何かをつかむことはできます。どんな大勝負の前でも、そこは同じロジックですね。
勇気を出して“ワクワク・ヒリヒリ”な体験をしてほしい
―御社が求める人材像についてお聞かせください。
自ら“取りに行こう”と行動に移せる人がいいですね。 たとえば目の前に大きな課題があったとして、誰かがそれをやらなければいけない状況だったとします。それに対し「じゃあ自分がやります」「難しいかもしれませんが、やってみます」と言える人が今後伸びると思っています。
立ちふさがる壁や課題に対して、自分はどうするか……僕はこれを「ワクワク・ヒリヒリ」と表現しているのですが、この言葉のように、チャレンジする楽しさと緊張の両方を楽しむことができる人、「ワクワク・ヒリヒリ」した状況に自らを置ける人に来てほしいです。
―御社のアピールポイントを教えてください。
入社後に新卒・中途を問わず受けることができる「アライドカレッジ」という教育制度を設けています。これは、社外から専門分野の講師を招いて研修を行ったり、専門分野に秀でた社員が講師となって社員向けの勉強会などを行うものです。
業務に有益だと判断すれば、入社数年の若手社員が講師として登壇することもあります。また、社外の研修サービスとの連携や他社との合同勉強会なども積極的に行い、会社員としてだけでなく個人としても成長していけるようサポートしています。
―最後に、社会へはばたく人へメッセージをお願いします。
自ら“取りに行く”というのは、とても怖い、勇気のいる行動です。僕だって怖い。みんな同じなんです。でも、それを一歩、踏み出した人が勝っていますし、そうすることで必ず道は開けます。
だからあまりえり好みせず、とにかく知識をつけて、体験してみて、自分なりの「成功のフレームワーク」を体得していってください。必死にやっていれば、結果的にものすごい実力がつくはずですよ。これから社会に出るような人が、失敗したところで会社がなくなるわけじゃないので(笑)恐れずに一歩を踏み出してほしいですね。
[取材・執筆・構成・撮影]真田明日美