20代の今、時間の使い方が勝負を決める!
―今の時期の経験が、人生で一番活きてくる―
- 伏見 啓史(ふしみ けいし)
- 株式会社チェッカーサポート 代表取締役
1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。龍谷大学卒業後、工場系アウトソーシング会社に勤務。会社統合を経て、販促ツール制作会社へ出向。SP(セールスプロモーション)業務に携わったのち、流通小売業向けの人材派遣事業の部署を立ち上げ、統括責任者に就任。レジ派遣の必要性を感じ、2002年、独立して株式会社チェッカーサポート(本社最寄り:門前仲町)を設立。現在に至る。
最高の接客のため、幾重にも施したスキル向上のシステム
―チェッカーサポートの事業内容についてご説明をお願いいたします。
スーパーや百貨店、ホームセンターなどのレジ業務を運営・代行している会社でして、対外的には「レジアウトソーシング専門会社」と述べています。具体的には採用から教育、運営、お金の管理、レジのセッティング、売上金の入金まで我々が一貫して行い、レジスタッフの安定的な確保や、接客力の強化などをサポートさせていただいております。
お店のレジをまるまる弊社が受託することが多いですが、なかにはレジ10台のうち5台分のみ弊社が運営するといった部分委託、忙しい時間帯だけ請け負う期間委託プランもあります。また、長期運営はもちろん、新規店舗のオープニングのみといった短期的なサポートにも素早い対応が可能です。
―御社では、特にスタッフの教育に注力されているとうかがいました。社員教育ではどういった点を重視されていますか?
最も大切なのは接客ですので、接客スキルを向上させる仕組みを整えています。まずは何よりも研修ですね。現在弊社には現場のアルバイトスタッフが全国に4700名おりますが、レジに入る前から接客に関する研修に丸1日の時間をかけ、実際にレジに入ってからもトレーニングに30~50時間は費やしています。
また、いい接客ができるようになるためには本人が「したい、なりたい」という自発性がないと難しいですから、スタッフのやる気を引き出せるように日々、管理側からスタッフへ指導しています。
そして、約30名の接客調査員が毎月、全国の店へスタッフ全員の接客チェックをしに回っています。いわゆる覆面調査ですね。それらをフィードバックし、数値化しています。これに基づいて社員全員の昇格や給料、賞与の金額もすべて決めているんですよ。
―現場のレジスタッフ、社員全員が接客に最大限の力を尽くせるようなシステムになっているんですね。
そうです。とにかく“接客”を最優先に考えております。クライアントさんにとっては接客の向上が見込めるうえシフトが確実に埋まるので、非常に高く評価をしてくださっていますし、この点は弊社の一番の強みとなっていますね。
派遣会社で目の当たりにした、レジスタッフの需要の高さ
―レジのアウトソーシングという事業に着目した経緯についてお聞かせください。
僕自身がもともと大手の派遣グループ会社に勤めていて、レジスタッフの派遣依頼を受けていたことがきっかけです。僕はそこで流通小売業向け派遣事業部を立ち上げたのですが、クライアントさんからいただく依頼がみんなレジ、レジ、レジで。……こんなにも需要があるのか、と驚きましてね。
ただ、問題は派遣する人のほとんどが学生で就業意識が低かったこと。派遣したはずの学生がある日、突然店に来なくなったりして、クライアントさんからよくクレームが来たんです。 「一生懸命レジを教えたのに!」 「すぐに人を出すって言ったって、その間は誰がレジをするの?誰が研修するの!?」 ……それはもうものすごい剣幕で、ですよ(笑)。
それなら、「人が来るまで私たちがやります。研修の仕方を教えていただければ、あとはこちらでやります」とお話し、研修やレジの穴埋めを僕や僕の部下がするようになっていったんです。すると、そこまでしてくれる派遣会社って実は今までなかったみたいで、どんどん仕事を任されるようになっていったんです。そのうち、採用から研修まで、気がつくとお店のレジ運営をほとんどこちらで回している状態になったんですよ。
―クライアントが求めるクオリティに対応しようとした結果、自然にビジネスモデルができてきたと。
そういうことですね。だからよく「レジのアウトソーシングなんて、目の付け所がいいですね!」なんて言われるんですけど、クライアントさんに怒られないようにしていった結果なんです(笑)。
あとでお話しますけれど、最終的にこのやり方が派遣会社の枠を超えるようになってしまいました。それが、チェッカーサポートとして独立する経緯になります。
組織運営のやりがいを感じた、大学の委員会活動
―伏見さんはどのような学生生活を送ってこられましたか?
大学生の時、海外交流委員会というものに4年間、所属していました。毎年入ってくる海外の留学生のため、バスツアーや弁論大会、クリスマスパーティーなどを企画するんです。
一番大きなイベントが、学生400人を連れて中国に行く、というものだったんですけれど、準備から説明会、帰国するまでの一切を委員会が運用したので、過酷でしたね。毎日1日2時間しか寝ていませんでした(笑)。
僕の通っていた龍谷大学は部活や委員会活動にとても力を入れていて、学生に運営をゆだねてくることが多くて大変だったんですけれど、組織の動かし方や人とのコミュニケーションの取り方を学びましたし、「仕事」のおもしろさを感じられましたね。この経験は今でもかなり役立っています。
―そのような状況のなか、アルバイトはされていましたか?
この委員会活動が忙しかったもので、日雇いの土木作業員や、旅館のバイトなどをしていました。旅館では夜入って夕食の準備をし、そのまま泊まって、朝食の準備とふとんの片づけをして帰るといったような。お金が必要になった時にやっていましたね。
内定取り消し、やる気のない社員――バブル崩壊の痛手を経験して
―就職活動はいかがでしたか?
実はバブル崩壊時代の世代でして。いざ働くという時期になって、入社する予定のIT会社から内定を取り消されてしまいました。仕方ないので、その年の4月からガソリンスタンドでアルバイトをしました。でも親は正社員で働けっていうし、僕も「もう何でもいいわ」って気になっていたので、『DODA』を開いて、関西圏内で仕事ができるところを探しました。
それで見つけたのが、神戸市の三宮にあった工場系アウトソーシング会社です。どういうものかというと、タイヤを造るラインは○○興産が、こちらのネジのラインは××ねじ工業が担当……といったように、インフラを持たない下請け会社が、工場でそれぞれ担当のラインを受け持っている。そんなイメージですね。
11月からそこの営業部に入って、通勤も楽だしラッキー!と思ってたんですが、翌年の1月には尼崎に転勤、さらに2月には先ほどお話しした大手派遣グループ会社に統合され、僕は東京の子会社へ転勤となってしまいました。そこは紙媒体のSP(セールスプロモーション)を手がける会社……つまり販促ツールの制作会社だったんですが、そこの営業力が弱いから何とかしてくれ、と。
―お店のPOPや、ノボリなどをつくるところですね。出向の形とはいえ、今までと全く違う業態の会社ですね。
上司はその会社を「広告代理店」と説明していたんで「広告なら、もしかして芸能人に会えたりするかも」とちょっと期待していたんですが……いざ入ってみたら毎日、 「ここの値段表記は135円だ」 「リンゴとキュウリの写真が違う!急いで差し替えて!」 「今日は夜中まで仕事!」 なんて声が聞こえてきて(笑)。僕も、週3回は会社に泊まるような生活になりました。今みたいにデジタルではなく、手作業で版下(印刷用の原稿)を切り張りしながらつくっていましたから、本当に大変な現場だったんです。でも、僕は毎日とても充実していました。
というのも、関西にいた時は「正直もう辞めようかな」と考えていたんですよ。不況で営業しても仕事なんか取れないから、先輩がいつもパチンコや釣りに行ったりしていて……社会ってこんなものなの?と僕は半分ショックで半分疑問に感じていて、このままここにいたら自分はダメになるなと悩んでいたんです。
このSP会社では、自分が企画して提案したものが形となって世に出て、残る。そして会社にいる従業員みんなが広告や販促が大好きで、仕事に誇りを持っている。それが本当に嬉しくて。大手流通業者さんもクライアントさんにいましたし、ハードで安月給だけど、こっちにいるほうがやりがいがあっていいなって思いました。
築き上げた信頼とノウハウを無駄にしないため、起業を決意
―先ほど、レジアウトソーシングに着目した経緯についてお話しいただきましたが、着目したきっかけとなる派遣の仕事に携わるようになったのは、そのSP会社のあとになるのでしょうか。
もともと、入社したグループ会社の事業の95%が人材派遣だったんですけれど、あまり業績がよくなくて。それで僕が担当していた大手流通業の人脈を活かして新規派遣ビジネスをつくれ、と言われたんです。
SP会社に勤めて4年、もっとSPについて極めたいと思っていたので僕としては嫌だったんですが……いざやってみると、結果は先ほどお話した通り。レジ派遣の仕事がどんどん入ってきて、売上げも伸びたんです。
僕、よく新入社員の子に言うんですよ。「自分で思い描いた道の通りにいこうとするより、体を流れに乗っけていい場合もある」って。実際、嫌々ながら頼まれた仕事が、今の人生の成功につながってしまいましたからね(笑)。
―本当に(笑)。とにかくも業績が上がり、会社にとっては狙い通りとなったわけですね。
ところが、実はこのあとから大変なことになりまして……。レジ派遣の売上げ規模があまりにも大きくなりすぎて、社内の構成比のバランスが良くないと指摘されました。それからグループ内の子会社へ、あちこち転籍させられて。
結局「営業部の社員が営業もせず、ずっと店の手伝いをしているなんておかしい」と言われ、会社側と僕たちが向かうベクトルが合わなくなってしまいました。それで、この事業で独立することにしたんです。
―実際に売上げが伸びていたのに、会社側の理解が得られなかったと。
「派遣なんて人をどんどん注ぎ込んで、あとはクライアントに任せればいい。お前のやり方はコストも時間もかかりすぎる」と言われたんですけど……僕の部署だけだったんですよ、売上げが伸びていたのは(笑)。
進んで起業をしたわけではないですが、お客様の期待に応えたかったし、僕の部下たちと一緒にやりたいことを続けていくためには会社を出るしかありませんでした。それにせっかくレジ派遣のノウハウがたまっているのに、このまま会社に居続けたら、突然の異動でふいになってしまう可能性もありましたしね。
この時僕は32歳で、独立に不安はありましたけれど、この業界で信頼をきちんと築き上げていたおかげで、つまずくことはありませんでした。
チェッカーサポートが存在する意義……その想いを秘めて
―今後、御社が目指しているビジョンがあればお聞かせください
会社をつくったからには、日本社会のために価値のあるものを生みださなければなりません。僕の場合、それが「接客」です。チェッカーサポートの接客を、たとえば20年後には学校の授業のひとつになっているくらい、よいものとして形づくっていきたいですね。
弊社は企業理念として“笑顔で日本を元気にします!”というスローガンを掲げていますから、レジアウトソーシングを通して“笑顔の接客”を日本全国に普及させていく存在でありたい。むしろそこまでしないと、会社としての存在意義はないと思っているんです。
だからもし弊社で働きたいという人がいるなら、そんな弊社の企業理念に賛同していただける方、そして接客だけでなく、マネジメント力といった総合的な力を身につけたいと思っている方を採用したいと思っていますね。
―伏見さんが仕事をしていて、幸せに感じる瞬間はどんな時ですか?
特にスタッフの成長を感じられる時ですね。現場のアルバイトスタッフのほとんどは学生ですが、応募してきた時点では先ほどのような僕の熱い想いを理解できる子は少ないし、当然、向き不向きがあったりするんです。
でもなかには、高校生からずっとチェッカーサポートで働いていてそのまま社員になった子がいたり、「ダメかな」と思っていた子がコツコツ努力して、半年で接客調査の最高点を出して見せたり。その子の親御さんからは、「あの子の表情が明るくなりました。ありがとう」と、お手紙をいただいたんです。
僕がやってきたことが、その子の人生のやりがいとなったり、気持ちを前向きにしたんだと知った時は、本当に会社をつくってよかったなぁと感じますね。
―それでは最後に、学生の方へメッセージをお願いします。
自分を高めるにはどうしたらいいか……それを考えることに、もっと時間を費やしてほしいなと思っています。僕から見て、今の若い子たちはものすごく素直で、「いい子」が多いんですよ。受け身というか、将来に対してガツガツしたところがない。
「今はお金をもらって勉強できる期間だと思え。そこに見返りを求めるな」。……これは20代の僕に対して祖父が言った言葉です。“楽しみ”とか“見返り”を求めず、勉強できる時にどんどん勉強しろ、という意味なのですが、経営者の立場であまりそれを言うと「お金は払えないけど働け」ってことになっちゃうので表現が難しいんですけれど(笑)それでも20代でどれくらい勉強して吸収できたかで、30代以降の人生に大きく影響するんです。
仕事の時間は時間内で与えられた実務をきちんとやっておく。重要なのは、仕事をやっていない時間に何をするか、ですね。ダラダラとテレビを観るのか、新聞を読むのか。夜中まで起きてネットサーフィンをしているのか、規則正しい生活を送るのか。その差は、社会人になったら歴然としたものになります。
20代は、時間の使い方が勝負です。今の時期の経験が人生で一番活きてきますので、仕事以外でもいろんな経験をして、どんどん吸収していってほしいですね。
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[取材・執筆・構成・撮影]真田明日美