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若いうちに厳しい環境で学んでほしい
―自分を信じて努力を続けることで、選択肢も増える―

株式会社ビジョン 佐野健一
佐野 健一(さの けんいち)
株式会社ビジョン 代表取締役

1969年、鹿児島県生まれ。1990年、株式会社光通信に入社。営業マネージャー、関西、名古屋の支店長、直販事業部長、テレマーケティング事業部長、OA機器事業部長、代理店統括事業部長を歴任する。1995年静岡県富士市に有限会社ビジョンを設立。日本に出稼ぎに来ている日系の南米人に特化し、海外への電話料金が安くなる国際電話会社の割引サービスを取り扱う。1996年、株式会社ビジョン(本社最寄り:西新宿)へと改組。「グローバルWiFi®」を始めとした自社ブランドの展開、ブロードバンド回線やOA機器等の販売代行など、企業のスタートアップに関わる事業を行う。

日本から世界へ。グローバルなサービスを目指す

ビジョン佐野健一氏

―まずは、ビジョンの事業内容について教えてください。

  大きく分けると、2つの事業が柱になっています。ひとつは、世界中で使えるWi-Fiルーターレンタルサービス「グローバルWiFi®」という自社ブランドの展開です。現在(2015年5月)、世界200以上の国と地域でサービス提供を行っています。もちろん、そのなかには日本も含まれていて、日本から海外に行く人、海外から日本に来る人、そして海外から別の国に行く人たち、これら3パターンのお客様をターゲットに展開しているサービスです。海外にも拠点を持っていますが、今後もさらに拡大させていきます。

  もうひとつは、情報通信サービス事業です。固定電話や携帯電話、ブロードバンド回線、OA機器などの販売代行を行っています。こちらの事業は会社をつくる人たちや、すでに会社を経営している人に向けてのサービスです。例えば、以前は会社で電話回線を引く時には116番に電話をして手続きをしていたのですが、今はインターネットで検索して業者に依頼するという流れが主流になっています。我々は特にスタートアップの応援に注力しているので、会社設立の初期にかかる通信関連の費用を極力抑えられるようサービスを展開中です。

―どちらもさらなる発展が期待される事業だと思いますが、今後の展開は?

  今、日本人の出国者数は約1750万人なので、「グローバルWiFi®」に関しては、契約数をこの数値に限りなく近づけていきたいと思っています。訪日外国人も今後どんどん増加していくので、両者に満足いただけるサービスを提供していきたいですね。

  現時点でも海外に行く際に我が社のWi-Fiサービスをご利用いただいている方はたくさんいらっしゃいますが、今後もグローバルな横展開を強化し、世界に通用するサービスを目指します。日本発で世界に通用するサービスというのはまだほとんどないので、そこに風穴を開ける仕組みをつくっていきたいなと思っています。

  情報通信サービスに関しては、今は、我々が提供する何かしらのサービスを毎月500~1,000社のスタートアップの人たちにご利用いただいているのですが、それを2,000社くらいまで増やしたいと考えています。ひと月に約10,000の会社ができているので、20%くらいまでシェアを伸ばしたいですね。

  我々は、子どもたちが将来なりたい職業のなかに起業家という選択肢が出てきてほしいと思っているので、今後もスタートアップの人たちと協力し、必要なサービスを充実させて、ともに成長していきたいと思っています。

サラリーマンにはならない。幼少期から持っていた起業願望

学生時代について語る佐野健一社長

―佐野さんの学生時代のお話をうかがいたいのですが、学生時代はどんなふうに過ごされていましたか?

  鹿児島に生まれ、小学校から高校まではずっとサッカーをやっていました。サッカーしかやっていないというような毎日で。でも、好きだったので、つらさや苦しさというのはなかったですね。もっとうまくなりたいという一心で取り組んでいました。

  部活を引退してからは、空いている時間にアルバイトもしましたね。コンビニで働いたり、居酒屋で働いたり。実家が工務店だったので、その手伝いもしていました。

―アルバイトの経験から、その後の社会人生活に役立ったことはありますか?

  コンビニでは深夜の時間帯に働いていたので、人数も少なく、実質店長のような役割だったんです。なので、棚卸しや消費期限を過ぎたお弁当の破棄、商品の発注など、いろいろなことをやらなければいけなくて。そのおかげで、お客様がどんな物を買っていくのか、店舗側はどういった管理をしているのか、そもそもどのようにして儲けているのかという、一連の流れを見ることができたので、非常に勉強になりました。

  実家の工務店では職人さんたちが働いていたので、近くで仕事の様子を見ていましたが、職人さんの仕事に対するストイックな姿勢からも学ぶことが多かったです。

―その後、光通信に入社されますが、入社にあたってはどんな点が決め手になったのでしょう?

  将来は起業をしたいという想いがあったので、一生涯続けられる仕事に就きたいと思っていました。最終的に自分の選択肢に残ったのが通信関係と不動産。その当時、日本電信電話公社の民営化によって通信が自由化して数年しか経っておらず、その分野を極めている会社もないような時代でした。コミュニケーションの形は変われども、通信は未来永劫続くだろうと思ったことで、通信に興味が傾き、通信関係の会社に入ろうと思いました。

―そのころから、将来的には通信関係で起業をしたいと思ったんですね。

  そうですね。幼少期は自分で商売をやりたいと思っていたんです。会社というよりは、お店をやってみたいなという漠然としたものでした。僕の母は居酒屋を営んでいて、小さいころからサラリーマンの姿をよく見ていたのですが、居酒屋に来るサラリーマンは、みんなストレスの塊のように見えて(笑)。だから、サラリーマンになるという選択肢が自分のなかにはありませんでした。

  両親が事業主として商売をしていたことも影響していると思うのですが、事業を自分でやることは楽しそうだなと子どもながらに思っていたんです。

先入観が覆った、組織のなかでの経験と成長

佐野健一さんの光通信時代について

―そういった想いのなか、光通信でサラリーマンとして働くことに対して迷いはありませんでしたか?

  まず、光通信の求人情報に書かれた内容は、僕のイメージしていたサラリーマンとは全く違ったものでした。社員の平均年齢もたしか当時は24歳くらいでしたし、自分と同世代の人間が活躍できる会社なんだと思って。

  入社が決まったあと、1週間くらい研修を受けましたが、その時に「日本の経済はサラリーマンが支えているんだな」と思ったんです。みんながみんな、居酒屋で愚痴を言っているわけではなく、仕事に対してこんなにがんばっている人たちがたくさんいるんだということを目の当たりにした時、サラリーマンに対するイメージが180度変わりました。

―実際に働いてみて、どんなことを感じましたか?

  営業職として入社して、入社1年以内には営業部の責任者を任せてもらえるようになったのですが、新人にも常に結果が求められました。営業成績を伸ばしていける人間でないと、続けることが厳しかったと思います。特に営業職は競争の要素が強いので、諦めずに続けていればチャンスが必ず訪れると思っていましたね。同期たちが辞めて行く姿も何度も見ましたが、さみしい気持ちがある半面、逆にチャンスが広がったという想いもありました。

  営業を経験して思ったことは、サッカーとも通じる部分があるということです。自分はレギュラーになれないと思っている人間は結果的になれない。なれるように努力している人間だけがレギュラーになれるんですよね。走り続けて苦しい時、休むことは誰にだってできますけど、そこからもう一歩踏み出すことが自分の成長につながるわけじゃないですか。これは会社員だった時も、経営者となった今でも変わらずに感じていることです。

導かれるように降り立った、運命の地での起業

ビジョン起業について佐野社長語る

―その後、ビジョンを立ち上げることになりますが、それに至るまでの経緯を教えてください。

  光通信時代には、営業部門の責任者から東京の責任者になり、その後、関西、名古屋、西日本、そして全国の責任者を経験しました。そのあとにいろいろな事業部の責任者も歴任したのですが、次のステージは役員になるというラインにまできたので、どこかタイミングのいいところで起業をしようと思っていたんです。

  入社当初は、コミュニケーション能力がすごく低かったんですが、多くの経験を積むなかで克服できましたし、商品を売るというところからスタートしたものが、マネジメントや地方の営業所の立ち上げ、採用、労務、経理といったことまで学ぶことができました。それらを経験したことで、いよいよ自分で経営ができるかなと。ただし、まずはひとりで始めようと思いました。

  起業にあたっては、まず、どこで始めようかということを考えていたのですが、たまたま静岡の営業所から東京に戻っている際に、新幹線で新富士駅に停まったんです。その時、目の前に見えた富士山の雄大さに魅せられて、そのまま新富士駅で降りて、不動産屋さんに行って、そこでオフィス物件の仮契約までしたんです(笑)。その流れで光通信を辞めました。

―なぜ静岡で立ち上げたのかな?と思っていたのですが、直感的に決められたんですね。

  静岡で立ち上げたことが運命と思えるような偶然はたくさんありました。まず、そのエリアは佐野という姓が日本で一番多いところだったんです。だから、地元の人間だと思ってもらえて、すぐに馴染めたんですよ(笑)。

  あと、社会人のサッカーチームに入れてもらおうと、夜、学校のグラウンドでやっている練習の見学に行ったら、全員ブラジル人で(笑)。サッカー王国ならではですよね。その人たちが困っていることのひとつが、国際電話の料金が高いということでした。当初は電話回線を売りながら資金をつくろうと思っていたのですが、その悩みを聞いて、国際電話の料金を割引できるサービスを日本にいる外国人を対象に提供していこうと思ったんです。

―一緒に働く仲間はどうやって集めていったんですか?

  サッカーチームのメンバーを通じて、彼らの奥さんたちにお声掛けしました。僕が会社を立ち上げた1995年は、阪神淡路大震災が起き、円高が進み、地下鉄サリン事件が起き……という激動の年だったんです。

  ブラジル人はみんな出稼ぎで日本に来ているので、彼女たちも工場でアルバイトをしていたのですが、そういった世相に影響を受けて残業が一切なくなり、夜は時間が空いていたので、空いている夜の時間帯にコールスタッフとしてうちで働いてもらったんです。コールセンターでは、ポルトガル語とスペイン語とカタコトの日本語が飛び交っているような状態だったので、会社に来るたびに「ここは日本じゃないな」と思っていましたね(笑)。

  当時は、出稼ぎに来ている外国人に対する環境は厳しく、女性であっても工場などの危険な場所で働くことが当たり前。彼女たちは安全なオフィスで働けることを喜んでくれていました。

―その後、東京に戻って来られます。これにはきっかけがあったのでしょうか?

  もともと国際電話のサービスが成り立つのは5年くらいだろうと予想していました。(会社を立ち上げた)95年はインターネットが少しずつ普及し始めてきた時代でしたが、回線も不安定でしたし、スカイプのようなインターネット電話サービスもありませんでした。それに、パソコンはまだまだ高価で、誰もが購入できるものではありませんでした。ましてや出稼ぎに来ているブラジル人はなおさらですよね。ただ、パソコンが普及していけば、国際電話の需要はなくなるということはわかっていました。それに、出稼ぎに来ている人は、いずれそれぞれの国に帰る。そのタイミングが5年くらいだろうと。

  国際電話の割引サービスを提供している時は、ブラジル人を中心に展開していたので、静岡でよかったんです。でも、少しずつ事業内容を国際電話からシフトしていくなかで、法人営業が増えていくので、経済圏の中心である東京に戻ってきました。

どれだけ興味が持てるか。その度合いで勝負が決まる。

株式会社ビジョン佐野健一代表取締役

―佐野さんは働くうえで、どんなことを大切にされていますか?

  絶対的な時間数をどう使うのかということを大切にしています。人よりも物事を考えている時間や、仕事に情熱を燃やしている時間数が長ければ長いほど、それは結果に反映されると思っているんです。考えているということは、情報量が多くなる。情報量が多ければ、選択肢が増えるわけじゃないですか。あとは、自分で得た情報のなかからこれとこれを組み合わせれば、こんなことができるという発見もありますよね。だから、絶対的な時間数が大事だと思うんですよね。

  ただし、会社で長時間働いてくれというわけではありません。空いている時間や休日のふとした時に、「どういうふうにしたらうまくいくのかな?」とか「自分に足りないものは何だろう?」とか、そういったことに興味を持ちながら考え続けられるかということだと思うんですよ。勝ち負けは興味の度合いで決まるのかなとも思っています。能力の差は努力で埋めていける。そこに興味が加われば、人よりも“気づき”が多く得られるはずです。

―最後に、就活生や仕事に対して不安や悩みを抱える学生にメッセージをお願いします。

  是非、ベンチャーで働いてほしいという想いがあります。グローバルで見ても、日本のようにいきなり大企業で働くというケースはめずらしいと思うんです。僕は、ベンチャーで戦い抜いてからいろいろな選択肢の中で、ふさわしいと思ったらその時に転職で大企業に行ったほうが、キャリアアップの近道になるのかなという気がしています。

  頭が柔軟なうちに厳しい環境で揉まれ、戦いながら、アントレプレナー(起業家)になるか、そのベンチャーのなかでキャリアアップを目指すか、大企業に移るか。選択肢はこの3つかなと。苦しい時もあるかもしれないけれど、自分のがんばりが会社の業績にダイレクトに反映されるという経験ができるのもベンチャーならではだと思います。

  教科書もなく、先生もいないという環境下で、自分の信じた道を進むしかない。それを続けることは、将来の自信にもつながるはずです。僕は当然、採用にも携わっていますが、一緒に働くメンバーにも起業家精神を持っていてほしいと思っています。実際に起業をするかどうかは別として、精神としてそういったものを持っている人は、成長のスピードが速く、責任感もあると感じますね。

  もしくは、世界を選択肢に入れてもいいのかもしれません。日本を出て、就職をする。いよいよそういう時代が近づいてきているのかなという気がするので、チャレンジしてほしいですね。

<株式会社ビジョン>
東京本社
〒163-1305 東京都新宿区西新宿6-5-1 新宿アイランドタワー5F
東京メトロ丸ノ内線 西新宿駅より徒歩約3分

[取材・執筆・構成]渡辺千恵 [撮影]真田明日美

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