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保谷氏の考える社会貢献とは
―ベンチャーから蕨市議会議員への転身―

蕨市議会議員 保谷武

サイバーエージェント、デジタルガレージ、カカクコムとIT業界で経験を積み、念願の起業を果たした保谷氏。そんな保谷氏が次に目を向けたのは何と「政治家」。ベンチャー企業から蕨市議会議員への転身を決意したその理由とは?蕨市民のために日夜奮闘する若手政治家のリアルな姿に迫ったロングインタビュー。

保谷 武
蕨市議会議員

1974年埼玉県出身、1997年筑波大学を卒業後ニチメン株式会社(現在の双日株式会社)へ入社。1999年4月に株式会社サイバーエージェントへ入社、同年10月子会社の株式会社ネットプライス設立に際し出向、後に転籍。2001年に株式会社デジタルガレージへ入社、翌2002年株式会社カカクコムへ出向、後に転籍。2004年に株式会社ブレードコミュニケーションズを創業し、代表取締役へ就任。2011年に蕨市議会議員選挙へ出馬し当選。現在へ至る

体力勝負のアルバイトに勤しんだ大学時代

穏やかな表情で話す蕨市議会議員の保谷氏

―大学時代は寮で生活をしていたと聞きましたが、アルバイトはしていましたか?―

家庭教師塾講師などの学生らしいアルバイトも経験したかったのですが、それよりも体力を使う仕事やガテン系の仕事が多い地域だったので、僕自身そういったアルバイトをしていました。

一番長く働いていたのは、ガソリンスタンドのアルバイトですね。大学時代に2年半ほど働きました。今はセルフサービスのガソリンスタンドが増えていますが、僕が働いていたのはフルサービスのガソリンスタンドでした。お客さんがきたら膝をついて接客をしますし、水を使う仕事だったので指はあかぎれだらけでした。いたるところに絆創膏を貼って仕事をしていたこともあります。結構大変な仕事でしたが、それと引き換えに体力と忍耐力はついたと感じています。

大きな夢を描いて入社したニチメン時代

―その後新卒でニチメン(現双日)へ入社をされますが、選んだ理由は何ですか?―

就職活動の時から商社には興味を持っていました。「海外で仕事がしたい!」「大きな仕事がしたい!」という希望が強く、現場にもどんどん出ていきたいと意欲に燃えていました。しかし、僕が入社をした時期は業界全体で急激にリストラが始まった時代でした。そのため、現場での仕事が多い部署よりも、現場と社内を結ぶような間接的な業務をしている部署へ配属される新卒がとても多かったのです。僕もその内の1人で、情報システム部へ配属されました。情報システム部とはエンジニアではなく、あえて言うならシステム会社の営業に近い業務でした。現場の意向を聞き、開発側の部署へ伝えるような、人と人を繋ぐ橋渡しのような仕事です。

他には、インターネットに関係した仕事も増えていましたね。僕が入社をした1997年はまさにインターネット黎明期の年で、PCが初めて1人1台支給されたような時代でした。当然、そんな時代の流れに合わせて社内にもイントラネットができ、その上で会議予約システムや稟議のシステムなど、様々な社内インフラを整える必要があり、そうした仕事にも関わりました。当時の仕事は今に活きている部分が相当大きいのですが、やはり現場へ行き大きな仕事を経験したいと思っていた僕にとっては、どこか物足りなさを感じていました。異動願いを出してもそれがいつ受理されるかは分かりませんし、やりたい仕事ができないジレンマを常に抱えていたのです。

ジャパニーズドリームを抱いて入社―サイバーエージェント時代

―双日からなぜサイバーエージェントへ転職をしようと決めたのですか?―

やりたい仕事ができないもどかしさを感じている時、ふっと横に目を向ければネットバブルがすごい勢いで盛りあがっていたので、気にはなっていました。「会社をIPOさせて、金持ちになるんだ!」と、当時ネットビジネスに関わる人はみんな口にしていましたし、それに向けて毎日泊まり込みで仕事に没頭している人が多くいました。そんな現状を知り、素直に「かっこいいな…」って思ったんですよね。まだ見ぬジャパニーズドリームをがむしゃらに追いかけている…そんな姿に惹かれ、転職を決意しました。当時は今より転職をする人が少なかったこともあり、自分としてはかなり思い切った決断でした。そして1999年4月、サイバーエージェントへ入社し営業に従事しました。

当時のサイバーエージェントはまだ社員数も10人足らずということもあり、仕事量は膨大にありました。毎日とても密度の濃い時間を過ごしていましたね。新たな市場が生まれる瞬間を目にすることができたのは、とても貴重な経験でした。同年10月にはサイバーエージェントの子会社となるネットプライスの新規起ち上げに関わるようになりましたので、結果的にサイバーエージェントで仕事をしたのは数ヶ月足らずでした。

ネットプライスの起ち上げは、僕自身の意向を藤田社長が汲んでくれた形です。ECで何かやりたいという漠然とした希望は入社当時から持っていましたので、それを藤田社長には何度か伝えていました。そこで、ネットプライスの話が出た時に声をかけて貰いました。最初は兼任だったのですが、次第にネットプライスの比重が増えていき、最後は専任になりましたね。起ち上げからEC業界大手へ成長していくまで…という最も目まぐるしい時期を過ごしましたが、自分達で会社を作っている実感をダイレクトに感じることができたのでとても面白かったです。

自らビジネスモデルを作り上げたデジタルガレージ・カカクコム時代

笑みを浮かべる保谷氏

転職したデジタルガレージで印象的だったことは何ですか?―

僕が入社した2001年頃のデジタルガレージは今とは少しビジネスモデルが違いました。当時はウェブのシステム開発を受けるコンサルティングに近いビジネスでした。今はインキュベートの利益が大きな割合を占めています。藤田社長もそうですが、事業を起こして成功した人は、先見の明がずば抜けているんですよね。「これは儲かりそう」とか「これは一般ユーザーに好まれそう」といった勘は大抵その通りに的中しましたので、そこは素直に「すごい!」と思いましたね。

―その後カカクコムへ出向することになった経緯を教えてください―

カカクコムの中核であるサービス「価格.com」は、2000年初期にはかなり知名度のある購買支援サイトでした。PVも毎日コンスタントにありましたし、ユーザーも多く抱えていました。しかし、収益モデルにはかなり改善の余地があり、成長していく可能性は大いにありました。そこで、ベンチャーキャピタルとデジタルガレージが出資に動きだし、デジタルガレージがカカクコムを子会社としたのです。僕を含めて3名の社員がカカクコムへ出向したのは、まさにこのタイミングです。

まず収益を拡大しないといけないと思ったので、金融関係の比較サービスを導入したり、膨大なデータを売り込むために広告代理店やシンクタンクへ営業に行くこともありました。現在はクリック広告中心になっていますが、当時はまだ枠売りをしており、月額5万円などのモデルでした。株式の上場に動いていた時期でもありますので、上場できるビジネスモデルを確立させねばならないと必死だったことを覚えています。

最近では価格比較サイトに加え、クチコミサイト「食べログ」やフォトコミュニティサイト「PHOTOHITO」など、新しいサイトも育っており、安定した経営ができているのではないでしょうか。

自らの手で仕事を起ち上げたい!―事業開発時代

―その後ベンチャー企業を起ち上げようと思われたのはどうしてですか?―

カカクコムの中で、僕は40人くらいの組織に属していまして、中間管理職のような役職でした。当時のカカクコムには、昔からカカクコムで働いていた人、ベンチャーキャピタルから出向している人、デジタルガレージから転籍してきた人と、それぞれ別々の会社から来た人達が集まっていたのです。基本的に向いている方向は同じなのですが、仕事の進め方や考え方も違っていましたし、それぞれのバックグラウンドも様々なので、やりたいことができないと感じる瞬間は頻繁にありました。「もっと自分で思うように仕事をしたいな」という想いが募り、起業を決意したのです。

しかし、カカクコムとは競合しない分野で事業がしたいと思っていました。そこで目をつけたのが、当時勢いが伸びていたモバイルコンテンツ事業です。「これならまだ参入の余地があるんじゃないか!?」そう思い、モバイルコンテンツの制作と運営を始めました。最大で10前後のサイトを運営しており着メロ、占い、お小遣い帳など、その種類も様々でした。最も利益を上げたのは月額課金の着メロサイトです。今でも新規で登録をして下さるユーザーがいるほど一般に広く支持されたサイトとなりました。

3.11を経て政治の道へ

キリリと格好いい表情を浮かべる保谷武議員

―そこから3年後に蕨市議会議員選挙へ立候補したのはどうしてですか?―

大手の商社へ入社し、その後ベンチャー企業で働きながら、子会社の起ち上げに参画し、最終的には自分のベンチャー企業を創業し代表取締役へ就任した…それが僕の職歴です。自分の会社を起ち上げたあたりから、「サラリーマンとしては大満足の人生だ」と、仕事に関しては十分すぎるほどの充実感を抱いていました。特に起業をしてからは自分のやりたい仕事に挑戦できていましたし、「これからもネット分野で仕事をしていくんだろうなぁ…」と、漠然と思っていたのです。

しかし、2011年3月11日に起きた東日本大震災を経験したことで、自分の描いていた理想は180度変わりました。被災地では地震だけに留まらず、津波や放射能といった、これまで経験したことのない悲惨な二次災害が起きていました。「これは大変なことになった…日本の危機だ!」と、大変なショックを受けたのです。自分にできることを何かしたい…社会のために自分ができることとは何だろう?」そんな風に考えるようになりました。僕が今まで抱いていた人生観は大きく変わったのです。

そんな時にふっと目に留まったのが、4月に迫った統一地方選挙と6月に地元蕨市の市議会議員選挙でした。それまで政治については全くの素人でしたが、「日本の危機を救うためには政治から変わらなければいけないんだ!」と思い、選挙に向けて自民党のボランティア活動に参加するようになりました。そして、市議会議員選挙が近づいていたある日、ボランティアを通じて地元の市議会議員の方と顔見知りになりました。その方とお話をしていく内に、蕨市を支える市議会議員という仕事に大変興味を持つようになりました。そして、「もしかしたら…自分にも挑戦できるのではないだろうか?」と、考えるようになったのです。ギリギリまで思い悩みましたが、「一度挑戦してみよう!」と決意し、立候補しました。全てが初めてのことで右も左も分からない状況ではありましたが、蕨市の市政を支えたい!という想いをとにかく有権者の皆様へお伝えしました。当選を果たすことができたのは、僕の想いに市民の皆様が賛同してくださったからだと思います。

―保谷さんが選挙で皆さんへ訴えた公約を教えていただけますか?―

僕が住んでいるのは戸田市と隣接をしている埼京線生活圏なので、「もっと戸田市との連携を強化しましょう!」という公約を1つの柱として掲げました。戸田市は埼京線の開通後右肩上がりに住人が増え、東京のベッドタウンとして注目を浴びているので、お互い協力し合って良いサービスを提供できたらなと思っています。

2つ目の柱として掲げているのは、蕨市錦町の区画整理を積極的に推進します、という公約です。蕨市は高齢者も多いですし、古くから建っている住宅が多く存在します。区画整理を行うことで防災も強化されますし、都市として土地の値段が上がり、人口が増える可能性があります。予算的な部分で思うように進まないこともありますが、少しでも早く進むよう引き続き尽力したいと思います。

将来について

蕨市のために笑顔で邁進する保谷議員

―市議会議員の任期は来年までになりますが、その後についてはどのようにお考えですか?―

正直に言うと、具体的に何か決めているわけではありません。専門分野はネットマーケティングと事業開発になりますので、またインターネットビジネスを起ち上げることも考えています。そしてもう1つは、これからも地元蕨市のために仕事を続けるという道です。素人同然だった僕に1,500人を越える市民の皆様が貴重な一票を投じてくださったのは紛れもない事実です。これほど多くの支持を受けたのですから、今後も蕨市発展に貢献できるような、市民の皆様がイキイキと過ごせるような市政作りを引き続き目指して活動をしていきたいという想いもあります。

しかし、現在市議会議員として業務をさせていただいたことで、蕨市の良い部分も分かりましたし、逆に改善しなければならない部分も見えてきました。蕨市発展のために、やらなければならない仕事は無限大にありますし、それは民間レベルでもできることが沢山あります。全てに共通していることは、「人の役に立つビジネスを続けていきたい」という想いですね。地域や社会に貢献していく仕事をこれからも続けていきたいです

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

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