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言語学習を通じて、人の可能性を広げたい!
―伊藤ゆうがArtistar(アーティスター)に込める想い―

Artistar(アーティスター) 小倉優
伊藤 ゆう
Artistar(アーティスター)代表

秋田県秋田市出身。大学を卒業後、渡米。アメリカの公立高校にて日本語教育に関わる。帰国後は大手英会話スクールに勤務し、教務主任まで務める。2010年に独立し、Artistar(アーティスター)を創業。「言葉が人生を創る」をモットーに、英語学習を通じたグローバル人材育成に取り組んでいる。

Artistar(アーティスター)とは?

―主な事業内容を教えてください―

  弊社は言語教育を通じて、企業における次世代リーダーの育成や、主体的に物事を学び取って多様な状況に対応できる人材育成を行っています。研修やコンサルティングによるグローバル人材の育成を事業としています。

  特に、「英語で自分の想いを伝える」ことを大事にしています。自らの声で、働く喜びや日本人としての想いを伝えられるコミュニケーション能力と英語力を身に付けてほしいと考えています。具体的には、「12時間で習得できる!英語プレゼン術講座」や「経営理念を英語で語ろう」といった企業研修プログラムを提供しています。どちらも、グローバルに生きること・自分の可能性を広げることをコンセプトにした研修です。

日本語教師という仕事に就いたきっかけ

アーティスター伊藤ゆう代表

―アメリカで日本語教師をしていた伊藤様ですが、日本語教師とはどのような仕事なのでしょうか?―

  一言でいえば、日本語教師は、日本語が母語ではない人に日本語を教える仕事です。日本国内に住む外国人を対象とした日本語学校で、多くの日本語教師が活躍しています。海外では、主に大学での日本語の授業で教えることが多いのですが、地域によっては公立の小中学校でも日本語の授業が行われている場合があります。

  私のように海外で実際に教鞭をとるには、日本語教師としての知識や経験だけではなく、その国の言葉や文化をしっかり理解していることも必要です。知識だけではなく、実際のシーンに合わせて話ができるコミュニケーション能力の高さが求められます。

―伊藤様が日本語教師を目指されたきっかけは何ですか?―

  1人のアメリカ人女性との出会いです。
  私は秋田の公立高校へ通っていましたが、そこにアメリカから来日していた先生がいたんです。以前から英語や海外に興味を持っていた私は、彼女に積極的に話しかけていました。

  ただ、彼女からの質問に答えることができない時がありました。「日本人はどうしてこういう行動をとるの?」「日本ってどんな国なの?」「秋田はどんな場所なの?」といった質問です。「何で?と聞かれても…そうだからとしか言えない…」と、全く気にも留めないことを質問されて、かなり戸惑ったことを覚えています。

  そして、次第に何も答えることができない自分がとても恥ずかしく思えてきたのです。もっと秋田のこと、日本のことを知る努力をしなければならないと思いました。同時に、そんな気づきを与えてくれた先生のような仕事が世の中にはあるだろうか?と興味を持ち始めました。

  私がアメリカに行って、日本語を教える仕事……調べてみた結果、日本語教師という仕事があることを知りました。日本のこと、日本語のことを学ぶことができ、さらには海外で働くことも選べる!私の興味のあることが全部詰まっている仕事だ!と思いました。これらがきっかけとなって、私は日本語教師を目指すようになったんです。

夢を抱き経験を重ねた学生時代のアルバイト

―では、大学生になってからは夢に向かって勉強の毎日ですか?―

  そうですね、勉強ももちろんしましたし、アルバイトもしていました。学生時代にいくつかアルバイトの経験を積んだことで、自分が望んでいる働き方を考えるようになりました。

  人生最初のアルバイトは、うどん屋さんです(笑)続けやすい職場だったこともあり、2年生の終わりまで勤務していました。
  3年生になってからは、アルバイトを2つ掛け持ちしました。1つは英会話スクールで小中学生の英語指導です。2つ目は、日本語教育を扱っているNPO団体で週3日オフィスワークです。どうしても日本語教師になりたいと思ったので、ゼミの先生に紹介していただきました。英語や日本語をはじめ語学や言葉に触れ合う仕事がしたかったのです。

  英会話スクールは株式会社で、アルバイトとして入社したものの、実際は社員に近い手厚い待遇でした。社員対象の研修に呼ばれたこともありましたし、少額でしたがボーナスもいただきました。アルバイトでも手を抜かず育ててくれたおかげで、多くのことを学ぶことができたので、とてもありがたいことですよね。

―NPO団体と株式法人で働いてみて違いはありましたか?―

  やはり違いはあります。利益を追求するかしないのかだけではなく、組織の文化や「何のために事業をするのか」といった想いと仕事の関係にも違いを感じました。NPOは利益追求型ではないので、自分達が望んでいるビジョンへの想いが強く、「どうすればこの想いが伝わるだろうか」ということを重要に考えていましたね。1つのプロジェクトに真剣に取り組んでいる姿勢も伝わってきます。また、私が在籍したNPOは外国語教育を扱っていたということもあり、日英の二か国語ができるなんて普通のこと、3つ4つの言語を話せる人もザラにいました。秋田出身の田舎者だった私には、とても新鮮な空気に感じられました。

  株式会社は利益を追求することで存続していきます。想いだけではなく、どうしたらビジネスとして成立するのかをよく考えていました。2つの異なる環境で働いていた私としては、折り合いをつけていくのが大変だったこともあります。ただ、NPOと株式会社という異なる組織形態を経験して、自分には何が向いているのかいないのか、また何が心地いい/心地悪いのか、ということを知ることができたのは大きかったと思います。

夢見たアメリカでの日本語教師デビュー

アーティスター伊藤ゆう-座り

―なぜアメリカで日本語教師になったのですか?―

  その当時、大学で日本語教育を学んだ後の日本語教師への道は、大きく2つに分かれていました。
  1つは、日本国内にある日本語学校に就職すること。もう1つは、海外の日本語教育機関に応募することです。この海外の就職の場合は、直接就職型と派遣型があります。私は、後者の派遣型で日本語教師になろうと決めて応募したんです。まずはアメリカへ行ってみたかった。私の人生に大きな影響を与えてくれた先生がアメリカ人ということもあります。就職試験は、日本語・英語の両方で行うので大変でしたが、無事合格することができました。ちなみに、合格通知が届いたのは大学を卒業するわずか10日前でしたので、受かっていなかったら間違いなく無職で卒業になるところでしたね(笑)。

  その後9月まで様々な研修を受けたのですが、実際に教壇に立つと想像以上に大変でした。「この言い回しで伝わる」と思っていた単語や文章が、違う意味に伝わってしまうのです。「どういうつもりでその言葉を発しているんだ?」と、強く言われたことも一度や二度ではありません。

  私自身には留学経験がなく、アメリカで高校生に教えることは初めてでした。自身の社会人経験も全くありません。赴任当時はミスコミュニケーションが頻繁に起こっていましたね。

―アメリカの学校と日本の学校の違いは何かありましたか?―

  まず、「教師」という職業が社会的にどう捉えられているかというギャップに純粋に驚かされました。日本と比べると、だいぶ若い校長先生もいましたし、当時の同僚に「校舎を清掃している業者さんの方が僕らより給料がいいだろうね」と、皮肉っぽく言われたこともあります。

  大きな違いとしては、生徒の授業を受ける態度です。アメリカの学校では、黙って授業を受けるという生徒はほとんどいません。主体的に発言をしますし、疑問点はうやむやにせずしっかりとぶつけます。非常に自立している印象を受けました。私が担当していた高校生の段階でそのような学習態度が身についているということは、初等・中等教育の段階で、授業にはどう参加するべきなのかをしっかり体得してきたのだなと思います。

  全学年で行う選挙の模倣練習(模擬選挙)は、生徒の自立心を促す取り組みの1つではないかと思います。アメリカでは18歳から選挙権が与えられており、最高学年である4年生は投票できます。私がアメリカにいた当時、ちょうど大統領選挙が行われていましたが、「なぜこの政党に投票するのか?」「どんな政策に共感したのか」など、選挙権の有無にかかわらず生徒同士で真剣に討論します。「1票の重さ」を全員で考えるのです。こうして高校生のころから政治へ主体的に関わる訓練を行っているのは、とても魅力的だと思いましたね。

英語でのコミュニケーションの素晴らしさを伝えるために

―アメリカから帰国後に大手英会話学校に入社したのはなぜですか?―

  私が教師として派遣される期間は2年と決められており、日本に戻った後はその経験を還元するように求められていました。しかし、就職先などの紹介や斡旋は一切ありませんでした。「どこで誰に還元するといいだろう…」と、自身で真剣に考えるようになりました。そして、私の夢を育んでくれた土地・秋田でやってみよう…!そう思い、秋田に戻ったのです。

  私はなぜ言語学習の楽しさを伝えたいのだろう?と考えてみると、やはり誰かと出会いコミュニケーションすることで、自分の可能性を広げてくれる楽しさがあると感じていました。だから、どうしてもコミュニケーションにかかわる職場を探したいと思っていました。最終的に出てきた答えが、英会話スクールだったんです。

―そこからどのように就職活動をしたのですか?―

  秋田にある英会話スクールの連絡先を調べて、片っ端から電話をしました。1社目は、外国人講師しか雇っていないと断られ、2社目は留守番電話に繋がり会話をすることすらできませんでした。3社目にようやく電話がつながったところでは、「今は採用していない」と言われました。しかし、担当者に「採用していなくてもいいから、学校を見せて欲しい」と頼み込みました。その熱意に押されたのか、当時のマネージャーから「今は雇っていませんが説明だけ」と、会う約束をしてくれたのです。

  訪問した日に、たまたま本社の社員が秋田校に来ていました。そこで私は、自分の経歴やビジョン、教育への想いなどを熱心に語ったところ、「採用試験を受けてみますか?」と言って下さったのです。その後、無事試験に通過し、そこから8年間お世話になりました。それほど長く勤めることができたのも、その会社の方針が私と合っていたからだと思います。

―自分に合った職場だったにも関わらず起業を決意したのはなぜですか?―

  大学を卒業する22歳の時、私は「10年間はよそ見せず、教師として経験・キャリアを積もう!」と決意をしていました。アメリカで2年間、日本で8年間働き、ちょうど10年経った時に、自分のキャリアついて真剣に考えるようになりました。

  英会話スクールでは、1歳~80歳まで常時200人以上の生徒様が通っています。小さい子どもの成長や上達を見るのは、とても楽しいです。また、ご高齢の方が一生懸命学ばれている姿も刺激になります。その中でも、私の語学教師の人生にもっともインパクトを与えたのは、社会人の成長を見届けている時だったんです。

  毎年春になると、新入社員の若者が数名入校してきます。研修の一環として入学する人が大半で、平均して2~3年は通ってきます。ところが、その数年の間に、学歴もスキルも経験もほとんど一緒だった社会人が、全く違う人生を歩むようになっていることがあるのです。「これは一体何でだろう?」と、考えることが増えました。行き着いた答えは、「その人が発している言葉で、人生がつくられていく」というものです。人生で起こった出来事や想いを、どう言葉で表現しているかということ、その違いが人生を左右しているのでは?と感じるようになりました。

  ただ単に英語を学ぶのではなく、人生を左右する言葉を意識をする授業を展開していきたい、この本質的な思いを伝えていきたいと思い、起業を決意しました。

起業生活の始まり

アーティスター伊藤ゆう-会話

―起業する準備はされていたのですか?―

  ある時、女性のための起業塾が1日集中コースで開講されていると聞きつけました。「1日だけなら秋田から行ける!」と決意し、東京へ行き受講しました。今思えば、この起業塾に参加したことが、私をやる気にさせたのだと思います。

  それからは「ビジネスとは何だろう?」と頻繁に考えるようになりました。起業塾のテキストを読み返しながら、仕事もこなしながら、2~3年かけてジワジワと気持ちを高めていきました。この頃から、自分でボランティア事業を立ち上げて活動していたたこともあって、自分が起業したらどんな社会貢献ができるのか自然と考えていたように思います。

  また、起業塾に参加したころには、私は教務主任という役職に就いていました。語学の素晴らしさを伝える教師という仕事だけでなく、スタッフや売上の管理など企業として利益を出すことも求められる立場です。教育で利益を出すことの難しさ・楽しさに気づくことができたことも、起業を考える上で役立ちました。

  そして、10年働いたらキャリアを振り返ろう!と決めていたタイミングで、起業する決意を固めました。

―独立当初のお話を聞かせてください―

  何の下準備もせず、人脈もなく上京して独立したので、本当に苦労しました。私のようなやり方は真似してはいけないと思います(笑)。最初に立ち上げた事業は「エグゼクティブ英会話~経営理念を英語で話そう~」というプログラムです。一番最初の生徒様から理念経営のあり方について伺い、とても感銘を受けたことから「理念経営をしている日本のエグゼクティブのために英会話講座を開設しよう!」と思って作りました。

  自分が起業するときに強く思っていた「言葉への情熱」を表現する教育の場に出会いたかったのですが、なかなかうまく進みませんでした。そうした想いを伝えても、実績が足りない・プロモーションに割くお金もない・人脈もない…ということで仕事の成約にはつながりませんでした。完全に八方塞がりでしたね。

―そんな状況を打破できたのはどうしてですか?―

  とにかく、会う人会う人に、「言葉で人は変わる!」「語学学習を通じて、人の可能性を開いていきたい!」という自分の想いを伝えていったんです。そうすると、しばらくしてから「グローバル人材教育について話を聞かせてください」と声をかけてくださった方がいらっしゃいました。

  実は、その方が在籍されている企業では、グローバル人材育成の研修を新たにスタートさせるために講師を探していたのです。私ならどのように研修をするかと意見を求められたので、自分で考え付く最適な研修カリキュラムを思ったままに話しました。最後に「それをやったことはありますか?」と聞かれたのです。正直に「ありません。教師経験は10年以上あって、その経験からアイデアをお話ししました」とお伝えしました。その方は「そうですか…。でも、とても面白いから一緒に企画書を書きましょう!」と言って下さったのです。それが私の企業研修の1回目の実績です。

  そこから、ただ単に語学を学ぶだけではなく、語学を通じてグローバルな人材を育成するという、新しい流れがつくられていったように感じています。このとき、担当者の方と教育への想いを共有できる仕事をはじめられることに、とても感動したのを覚えています。

伊藤様が伝えていきたい想いとは?

  Artistar(アーティスター)は、「Artist」と「Star」を足してつくった造語です。一人ひとりの感性や個性を星のように輝かせて発信してほしいという願いが込められています。

  言葉と想いは人を動かすと信じています。よりたくさんの日本人が、自らの想いを発信することで、企業も日本も魅力的な存在であり続けられるのではないかと考えています。 言語教育を通して、企業人・日本人を元気にしたい、ひとりひとりの持ち味を輝かせて前向きに進んでいける未来をつくっていきたいと思っています。

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

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