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働く人の幸せを作る会社を目指して
―人が人を繋ぐビジネス―

株式会社アトラエ 新居佳英
新居 佳英
株式会社アトラエ 代表取締役社長

1974年生まれ東京都出身。1998年上智大学理工学部を卒業、同年4月当時未上場のベンチャー企業であった株式会社インテリジェンスに入社。3年間営業として従事した後、2000年7月に子会社の代表取締役へ就任し、当時としては前例のない若さで社長になったことで注目を集める。2003年同社を退社し、株式会社I&Gパートナーズ(現株式会社アトラエ)設立、代表取締役へ就任。現在に至る。

アトラエとは?

―現在提供している事業内容をお教えください―

現在事業として展開をしているのは、主に2つです。1つは、IT/Web業界に特化した成功報酬型求人メディア「Green(グリーン)」の開発と運営。もう一つは、FacebookやTwitterを始めとしたSNSを活用した採用ツールとして開発された新サービス「JobShare(ジョブシェア)」です。Greenは弊社の軸となっているサービスであり、5年間右肩上がりに売上を伸ばしています。他社の求人メディアとの最も大きな違いは、採用率の高さではないでしょうか。掲載いただいたほとんどの企業で、3ヶ月以内には採用が成功しており、IT/Web業界では順調にシェアを伸ばしています。JobShareは立ち上げて1年の新サービスです。弊社の1つの戦略コンセプトであるHR(Human Resources =企業の人的資源)領域でテクノロジーを駆使したイノベーティブなサービスの1つとして始めました。JobShareはソーシャルメディアを活用して行われる採用ツールです。多くの人から応援される優良な企業であればあるほど価値を享受できるサービスです。世の中にない全く新しいサービスということもあり、まだ試行錯誤の真っ最中です。

人の上に立って仕事をする楽しさを見出した―学生時代

―学生時代から自分で起業することを考えていましたか?―

そうですね、学生の頃から起業については何となく考えていました。しかしインターネットも普及していない時代だったこともあり、学生時代はただもくもくとサーフィンとアルバイトに明け暮れていた感じです。友人達と学生団体を組織し、イベントを主催したりもしましたが、最終的に最も長く続けたアルバイトは家庭教師と、知人に紹介してもらった日払いのアルバイトでした。日雇いのアルバイトはほとんど正社員と同様に働かせてもらっていて、アルバイトながらに時間あたりの効率性や、作業の仕組み化を意識していました。日払いという仕組み上、一日の仕事内容と支給される給与額は決まっています。そのため、決められた仕事をより短時間でこなすことができれば、仕事は早く終わり実質的に時給が上がることになります。その結果として事実生産性が上がったこともあり、正社員と同じように現場のリーダーを任せて頂けるようなこともありました。

起業に必要なスキルを身に付けた―インテリジェンス時代

―学生時代にはすでに起業を決意したそうですが、きっかけは何ですか?―

就職について考えるようになった頃の事です。銀行や鉄道といった所謂「大手企業」には全く興味が湧きませんでした。むしろ「努力してある程度の大学までいった人達がどうしてそんな面白くなさそうな仕事や会社を選ぶのだろう…」と本当に不思議に思ったことを覚えています。

そんな時、過去の偉人達の自伝を読むことが私の中でブームとなった時期があり、色々な自伝を読み漁りました。中でも経営の神様とまで言われた松下幸之助さんを始めとした、一代で事業を築いた方々の本はどれも本当に興味深く映りました。今現在成功を収めているから楽しいのではなく、「リアカー1台で商売を始めた」といったような、成果を出す前の立ち上げ段階からとても楽しんでいた様子が伝わってきたのです。そのあたりから凄い会社に入る人生よりも凄い会社を創る人生の方が絶対に楽しいはずだと確信しはじめ、いつかは自分で事業を始めようと心に誓いました。

―その後新卒でインテリジェンスへと入社を決めたのは理由があるのですか?―

学生の内から起業しようと考えたこともありましたが、その当時の私のレベルだと、恐らく自分達だけが儲かる零細企業の運営くらいで終わってしまうことが目に見えていました。そんな規模の会社を作りたいわけではなかったので、一度どこかに就職をして社会人経験と仕事の進め方を学ぶ必要があると感じました。起業の下地を作るための就職先探しは、主に2つのポイントに的を絞って探しました。一つ目は、若い内から実力次第で責任や裁量を任せてもらえること、二つ目は、経営者の近くで仕事ができることです。今となってはさほど難しい条件ではないでしょうが、僕が就職活動をしていた当時はサイバーエージェントも立ち上がっておらず、入社後すぐに即戦力として活躍できるようなベンチャー企業を見つけるのは非常に難しかったのです。そんな時にたまたま目に入ったのが、インテリジェンスでした。

当時のインテリジェンスは、まだ社員数も100名ほどしかおらず、上場もしていない、まさに発展途上のベンチャー企業でした。それにも関わらず一流大学卒の能力の高そうな若い先輩社員が沢山活躍しているのを目の当たりにし、「この会社でなら自分次第で相当な早さで力を付けられる機会があるはず!」と思い、すぐに決断しました。

営業から子会社の社長まで―インテリジェンス時代

営業から子会社の社長まで―インテリジェンス時代

入社後すぐに営業の仕事に従事し、2年目にはチームを持ちマネジメントという立場も経験させてもらいました。そして3年目になった頃からそろそろ辞めて起業をしようと考え始めました。そんな自分の状況を察知した社長から「辞めるくらいならグループ会社の代表をやってみないか?」と提案され、子会社の代表取締役のポストに就く運びとなりました。入社3年目の社員に社長を任せるという事が当時としては異例ということもあり、東洋経済や日経新聞といった各メディアにも取り上げて頂きました。

その子会社では、当時まだまだ認知度の低かったベンチャー企業の採用支援を事業の中心としていました。「日本全体のアロケーションという視点から考えれば、もっと優秀な人材を沢山ベンチャー企業に送り込むべきだ!」という信念の元、大企業に勤めている人のヘッドハンティングも行いましたし、ベンチャー企業の採用コンサルティングを始め、面接の進め方から、ホームページの作成に至るまで、採用に関してはワンストップでサービス提供を行っていました。しかし代表に就任してから3年が過ぎようとしていた頃、子会社自体が本社へ吸収されることとなり、志半ばではありましたが、一度本社へ戻ることになりました。本社へ戻り部下達に新しい部署と活躍する場を作った頃には、やはり「退職」の二文字が頭の中に浮かぶようになっていました。もう一度自分が理想とする会社を作りたい…そんな想いを捨てることができずにいたように思います。そんなことを察知頂いたのか、当時の経営陣から近々取締役に任命しようと思っているというお言葉をいただきました。当時のインテリジェンスはすでに上場していましたし、役員になれば相応の重責も伴います。またもし引き受けたとしたら、中途半端なタイミングで辞めることはできないでしょう。上場企業の役員という当時の自分には勿体なさすぎるくらいの提案でしたが、私にとっては自分が理想とする会社を創りたいという想いの方が勝ったのです。

―退職する時には新たなビジネスモデルの考えはあったのですか?―

タイミングの問題もあり、仕事も忙しかったこともあり、結局辞めるときには何ら具体的なビジネスモデルもアイディアもないまま退職しました。なので会社を作ったものの「…さて、何をしようか」というくらい完全にゼロからのスタートでした。しかし幸い子会社ながらも社長を務めていた時に人脈は広げることができたので、コンサルティング業を中心にいろいろとお仕事をいただくことはできていました。そのため生活するための収入面という意味ではそれほど問題ありませんでしたし、いただいた仕事を受けながら「何をやろうか…」と、考える日々を過ごしていました。

業界初の成功報酬型求人メディア―Green開発秘話

―御社の主軸となるサービス「Green」はどのように生まれたのですか?―

弊社は起業時からHR(Human Resources =企業の人的資源)の業界で仕事を続けていましたが、この業界は以前からIT化が進んでいるとは言い難い業界でした。もっとインターネットやテクノロジーを利用することで、今以上に価値あるプラットフォームを作ることはできないのだろうか…そうすればもっと安価で人材紹介会社と同じレベルのサービスを提供できるのではないかと思ったのです。「人材紹介は高い」「何故もっと安くできないの?」と口にするお客様が多かったことも追い風となりました。

アナログに人が介入していることでブラックボックスとなり、金額が高額になってしまうことが人材紹介会社のネックでしたので、ITの技術を使うことで、オープンかつ安価なサービスにすることができるのではないかと考えたのです。これが、Green誕生のきっかけです。業界初の成功報酬型の求人メディアを作ったのも、できるだけ安価でお客様に価値を提供したいという想いからでした。料金が固定なところもお客様には好評なようです。

―最近新たなサービスも開始されたと伺いましたが―

Greenの後に開発をしたのが、ソーシャルリクルーティングサービス「Jobshare」と呼ばれるサービスです。ここ数年でFacebookを始めとしたソーシャル・ネットワーキング・サービスは驚くべきスピードで普及しました。ソーシャルな中で人と人が繋がっていくことが当たり前となり、今後はソーシャルなサービスを使った採用活動も可能になるのではないだろうか…そんな想いから開発を始めたのです。JobShareは、FacebookやTwitterを通じて求人情報を拡散していき、応募者を募るサービスです。最初はやはり募集企業の社員がシェアや拡散をしていき、社員の友人や知人がさらに拡散をしていくことで、応募者を集める仕組みです。つまり、実際に働いている人と身近な関係にある人が「この求人どうですか?いい会社ですよ!」と、思うからこそシェアやRTをするので、広く拡散している企業は優良な企業なのだという証明にもなります。新しいソーシャルサービスには大きな可能性があると感じていますし、スケール面でのメリットも期待しています。

十人十色の働き方を確立―働く人の幸せを作る会社を目指して

―今後はどういった人材を採用したいですか?―

社員が長く働くことができる環境はもちろん大事ですが、人材を育てることもとても重要だと感じています。そもそも日本は技術者自体が少ないので、新卒や中途で技術者の採用を行い、積極的に育てています。弊社はHR×テクノロジーを事業ドメインとしていますので、技術者がいないとサービスを作ることができません、技術者はまさにサービスを支える生命線なのです。現在の技術チームはデザイナーを含めて10人弱ですが、まだまだ欲しいと思っています。そのため、今後はどのように育てていくかを考える必要もありますね。

―多様なワークスタイルがあることでも知られていますが、具体的にはどのような働き方があるのですか?―

そうですね、まず弊社では就業時間に固執せずに、何時に来て何時に帰っても構いません。もちろん労基法に準じて制度は整えていますが、昼頃に来る社員がいる一方で朝の7時頃来て16時に帰る社員もいます。まだ小さな会社なので、あまり細かいルールは作らずに1人1人に対して最適だと思える職場環境を提供することが大事だと思います。

他社にはあまりない光景として、弊社ではシングルマザーが2人いるのですが、保育園や小学校へ迎えに行き、そのまま連れて帰ってくるお母さんがいますね。託児所はどうしても預ける時間が決まっていますが、仕事の進み方によっては毎日同じ時間に帰るなんて到底できません。その時はイレギュラーではありますが、子供を連れての仕事も容認しています。また、実家で暮らす母親が心配なので近くにいてあげたいという社員には、特別に実家のある北海道での在宅勤務を許可しています。もちろんやるべきことをきちんとやってくれる人だという前提と、他の社員との信頼が築かれているという前提の上に成り立っている話ですが。

株式会社という組織で働く一番の目的は「働く人達が幸せになること」だと私は思っています。そのためには、最も大切なのは、社員がストレス無く自分らしく仕事に邁進できる環境を会社側が整えることも求められます。時価総額が大きくなろうと、売上が倍増しようとも、社員が幸せに感じていない会社では意味がありません。株式会社という仕組み自体が人々を幸せにするために出来た仕組みであると私は思っているので、働く人が幸せでなければ、どんなにすばらしいサービスを作ろうともお客様に幸せを届けることはできないでしょう。目指しているのは、アーティスト集団やプロスポーツチームのような組織です。実力主義の組織の中で、みんなが1つの目標に向かい、「好きだからやっているんだ」と、全社員が口にするような会社を目指していきたいです。今後、会社としても人が増えていき、100人や1000人規模になった時にこの形態を維持することができるのかが、今後乗り越える壁になると思います。

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

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