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奇跡のような20年間だった。―『FF』の植松伸夫が語るスクウェア時代と今、未来

株式会社ドッグイヤー・レコーズ 植松伸夫(後編)

<目次>

6.【ダンジョン/植松伸夫にもあった冬の時代
7.【バトル1~ファンファーレ/『ファイナルファンタジー』とともにあった20年
8.【ん?/植松伸夫のFFこぼれ話
9.【エンドタイトル/植松伸夫から、親愛なる皆へ


フリーランスとなった現在について語った『前編』はコチラ

6.【ダンジョン/植松伸夫にもあった冬の時代】

ドッグイヤーレコーズFF作曲家植松伸夫

●夢を語り合った『日吉梁山泊』

音楽スクール、トラックの誘導、東急ハンズの配送、駐車場や会社の受付……

数々のバイトをしてその日暮らしの収入を得、糊口をしのぐ青年・植松ノビヨ(伸夫)。

しかしある日、白アリ駆除のバイトのため、軒下でもそもそ働いていたノビヨ青年はふと考えた。


「人んちの軒下で何やってんだろう、俺。……このままじゃイカン!」


音楽をやるために就活もしなかったのに、このままでは何も変わらないではないか。

……そう一大決心すると、植松青年はなんと、それまで継続していたすべてのバイトを辞めてしまった。

もちろん、それでは飢えて死ぬこと必至である。当時住んでいた日吉のアパートの家賃も払えず電気、ガスとインフラが次々に止まっていくなか、なんとか音楽関係の仕事がないかと、当時創刊されたばかりの求人誌を片手に職を探していた。

すると、「CM音楽作成」という文字が目に飛び込んできた。


「募集をしていた音楽制作会社にデモテープを送り続けました。毎日ね。で、1ヵ月後にとうとう連絡がきたんです。『もうめんどくさいから会ってやる』って(笑)。」


そこでCM制作の現場を初めて見せられて、植松青年は思い知った。


「あまりにも世界が違う。俺にCM音楽はつくれない。」


現実を突き付けられ、すっかり自信を無くしてしまったが、現実は容赦ない。
追い打ちのように最後のインフラである水道も止まってしまう。

しかし、そんな心ボキボキの植松青年を支えたのは、夢を共有する仲間たちだった。

彼らは毎日のようにお酒やツマミを持って日吉の住まいを訪れ、お互いの夢を語り合った。

植松さんはそれを中国の伝奇小説『水滸伝』にちなみ、『日吉梁山泊(りょうざんぱく)』時代と呼んでいる。

そんな時だった。


「梁山泊に、スクウェアで企画の仕事をしているという女の子がやってきたんです。そこで『ゲーム音楽をつくれる人を探しているんだけど、やらない?』って誘われて。

それで、バイトというか外注として、ゲーム音楽制作の仕事を請け負ったんです。それがスクエニと関係を持った最初でした」

7.【バトル1~ファンファーレ/『ファイナルファンタジー』とともにあった20年】

ドッグイヤーレコーズ植松伸夫さん

●スクウェア DE シゴト

株式会社スクウェアは、電気工事会社のソフト開発部門が独立したのが前身である。


「スクウェアは当時、日吉にあって、家とすぐ近かったんですよね。スクウェアにいる人もみんな歳が近いし、よく遊びに行ったんです。

で、最初の仕事の時、挨拶のために、その梁山泊にいた企画の女の子に会社へ連れられて……坂口さんと会ったのは、その時が最初かな。」


坂口博信(さかぐち ひろのぶ)氏。
歴代FFのディレクター、プロデューサーをつとめてきた、言わずと知れたFF生みの親だ。

しかし当時のスクウェアは無名も無名。
ゲームをつくっても、なかなか振るわない状況だった。

それでも会社の求めに応じ、植松さんは『クルーズチェイサープラスティー』などのゲーム曲を手がけ、力をつけていく。


「そもそもゲーム音楽なんて知らないし、周囲もやってる人は少なかったから、なかなか理解はされませんでした。けれど、作曲して定期収入を得られるっていうだけで、僕には十分でした。」


●「来週、君の人生が変わるよ。」

1986年のある日、植松さんは、知り合いからある “予言” を受ける。

「僕の周りは霊的な能力を持つ人がなぜか集まってくるんだけどね……その日も、『植松君。来週、君の人生が変わるよ。』って言われたんですよ。で、翌週、日吉の街を歩いていたら、バッタリ坂口さんに会ったんです。

それで、『今はこんな曲をつくってるんですよね~』とか話をしていたら 『今度、スクウェアをちゃんとした会社(株式会社)にするんだけど、よかったら社員としてうちに来ないか』……って誘われまして。

『じゃあ(結婚しようと思ってるし)いきまぁーす』……ってそんな感じのノリで(笑)。入社することになったんです。」


こうして植松さんはスクウェアに入社し、『キングスナイト』などゲーム曲作りに没頭した。

曲を作っていけるだけで満足だったが、スクウェアの業績は日増しに悪くなるばかり。いよいよゲーム業界から撤退か、という状況に陥ってしまう。

1987年12月18日。
全員が “これが最後だ” という思いの中、坂口氏の総指揮下で生まれたのが、『ファイナルファンタジー』である。


●もっとも舞い上がった「アノ人」からの電話

結果的に『ファイナルファンタジー』の第一作目は52万本を売り上げ、風前の灯だったスクウェアを救った。


「でも、僕はあんまり世間の反応とか気にしないタイプだったから、売れているなんて全然知らなかったんですよ。FF4あたりからかな……『これ、相当売れてるゲームだな』って思い始めたのは(笑)。もちろん、坂口さんは手ごたえを感じてたと思うけどね。

FF1・2・3は、本当にがむしゃらにやっているだけでした。FF1の『オープニング・テーマ』、あれは今は『ファイナルファンタジー』という名前でFFのテーマになっているけれど、FF2では使ってないんだよね。FF1も2もまったく別物のゲーム、という意識でしたので。」


世間体も気にせず、淡々と作曲をしていく植松さんだったが、“ある出来事” だけは舞い上がってしまったという。


「FF1が発売されてしばらく経った時、すぎやまこういち先生の事務所から電話がかかってきた時はすごいびっくりしました。『ファイナルファンタジーの曲をつくった人を、すぎやま先生が探しておられます』って。はい、僕です!って答えると『すぎやま先生がとてもほめておられました。』……なんて。あれだけは、すごく嬉しかったなぁ。」


FFに先んじて大ヒットを飛ばした『ドラゴンクエスト(ドラクエ)』の作曲家であるすぎやまこういちさんは、その後、ファミコン音楽を演奏する会でFFの曲を披露。

その場に植松さんを呼んだことをきっかけに、交流が始まったという。


「それからね、FF1から6まで、タイトルが出るたびにすぎやま先生から電話がかかってくるんですよ。今回のあそこはよかったけど、あそこは工夫したほうがよかったね~とか。ゲームをきっちりクリアしてから電話してくるんです(笑)。

FF6にオペラのシーンがありますよね。それについて『君、オペラのことなんてなんも知らずに曲書いたろ!』って言われて。あ、はいって答えたら『一言、相談してくれればよかったのに!』って。」


ふたたび余談だが、筆者はFF6がもっとも好きなタイトルだ。FF6で初めて「オペラ」というものに触れ、そのシーンに魅せられたのは筆者だけではないはずだ。

そもそも、ゲームであんなドラマチックな演出ができるなんて、それだけで衝撃的だったものだ。(結果的にオペラが植松さんらスタッフの妄想の産物だったとはいえ……)


「そうなの。それこそ、 “素人集団” のスクウェアならではの強みだったよね。オペラなんてだ~れも知らないくせに、当時の6のスタッフみんなが、『おもしろそうじゃん! よし、やっちゃえやっちゃえ!』っていうノリだったから(笑)。

『ドラクエ』のほうはすぎやま先生はもちろん、堀井雄二さんとか鳥山明さんとか、すでにその道の “プロ” たちが集まっていたでしょ。だから、僕らにとって『ドラクエ』は本当に完成された、洗練されたもので、憧れだったんですけれど……いっぽうでこちらはやりたい放題だった。でもそれがかえって、よかったんだろうね。」


圧倒的な若い熱量のなかで生みだされた『ファイナルファンタジー』は、粗削りな美しさがある。そして、それは確かに我々ユーザーに届いていた。


●尊敬する師は「スクウェア」そのもの

情熱をもってひとつの作品づくりにあたり、一丸となってゴールを目指していくという雰囲気が、当時のFFの制作現場にはあった。

その雰囲気づくりに、植松さんは一役買っていた。


「『そうだ、京都いこう』じゃないけど、学生のころから『じゃ、ちょっと今から沖縄まで行ってみる?』みたいな体育会のノリが好きでね。そういう空気を、自分からつくりだすようにはしていました。

FF6までは、デバック作業(バグがないか確認する作業)もいよいよラストバトルまで来ると、みんなで部屋に集まって見届けるんですよ。エンディングが終わったら『はぁーい、お疲れ様でしたーー!』ってビールで乾杯して。みんなで完成させたっていうあの達成感は、ゲームづくりならではの醍醐味ですよね。」


すぎやまこういちさんの話が出たところで、植松さんがもっとも尊敬する人について聞いてみた。


スクウェアっていう会社そのものです。僕が『オーケストラやりたーい』『民族音楽やりたーい』って好き放題言っても誰も文句言わず、なんでもやらせてもらえました。あそこで実践しながら、鍛えてもらったという感じですよ。

本当に、奇跡のような20年間でしたよね。」


●スクエニを辞めた経緯 ――僕は音楽をつくりたいから。

FFはその後もタイトルを出すたびにヒットを飛ばし続け、スクウェアは株式会社スクウェア・エニックスとなり、日本を代表する大企業に急成長を遂げた。

大恩あるスクエニを去ることになった直接的なきっかけは、なんだったのだろう。


「会社の体制がどーなろうが給料がどーなろうが、僕は毎日、音楽をつくらせてもらえればそれで幸せだったんです。けれどだんだん年次が上がっていくと、管理職をせざるを得なくなるでしょ。それ、僕は興味なくって。

僕はやっぱり音楽づくりをしたかった。まだまだつくれると思ってたし、モノづくりをする人は、やっぱりモノづくりができる環境にいないとダメなんですよ。ミーティングルームにいても曲つくれないもの(笑)。

『ここでやるだけやったかな』という思いもありましたし、最後はもう、そろそろいいかな、という感じでした。」

8.【ん?/植松伸夫のFFこぼれ話】

●発案者は植松さん!? 「しぼう」→「戦闘不能」の概念

FFでは、バトルでキャラクターのHPがゼロになった状態のことを「戦闘不能」と呼ぶ。FFのオールドファンならお分かりかと思うが、FF3まではそれが「しぼう」と表記されていた。

なんと、その表現の変更は、植松さんの発案からだったという。


「僕は物語に直接関わったことはないんだけど、それだけは坂口さんに言ったんです。『死にました』みたいなあの表記は、やめたほうがいいよって。戦闘不能っていう言葉をつけたのは僕じゃないですけどね。」


作曲家やプロデューサーという立場をこえ、スクウェアには自由にアイデアを出せる社風があったのだ。


●『片翼の天使』も『エアリスのテーマ』も『ザナルカンドにて』もあえてナシ! 植松伸夫さん想い出の曲をきいてみた。

メディア出演が増え、ゆく先々で植松さんは「好きな曲」を聞かれていることだろう。しかし筆者もFFファンを代表するライターという職業柄(ミーハー心丸出しなのを承知で)聞かないわけにはいくまい。

ただ植松さんが何の曲を選び出すかはなんとなく予想はついていたので、ひとつだけお願いした。
「片翼の天使と……あとエアリスのテーマ、ザナルカンドにて。それ以外で!」。
ひとつじゃなかったなんて、気にしていない。

「曲なんて全部覚えてないよ~」と言いながらも、植松さんがほぼ直接関わったFF1からFF10までの “想い出の曲” を丁寧に答えてくれた。

せっかくなのですべてご紹介しよう。


★植松伸夫厳選! “各シリーズの想い出の曲”★

【FF1】オープニング・テーマ
のちに『ファイナルファンタジー』という名に生まれ変わったFFの “国歌” 。
「あのメロディーをこの時に書けて本当によかったですよね。もちろん、そのあとファイナルファンタジーの続編ができるなんて思ってもみませんでしたが(笑)。」

【FF2】メイン・テーマ
しっとりと、もの悲しい曲調が哀愁を漂わせるフィールドの曲。
「FF2では僕が一番好きな曲です。やっぱりメインテーマは特別なんですよね。」

【FF3】エンディング・テーマ
明るく軽快なリズムとともに、戦士たちが故郷に凱旋するシーンが印象的なFF3エンディング曲。
「ねばったんだけど、曲がぜんっぜんできなかったんですよ。そこで、『あー!もう無理!会社行かない!』って決めて、千葉の館山まで行って2日間 “籠り作戦” をした結果できた曲です。」

【FF4】愛のテーマ
セシルとローザの会話シーンなど、FF4を象徴する場面で使用。DS版では「月の明かり」という名の主題歌となった。
「坂口さんが、4のテーマは愛だ、愛だって言っていたからね。坂口さんの口から物語のテーマについて出たのって、その時が初めてじゃなかったかな。」

【FF5】親愛なる友へ
エンディングで、主人公たちがかつての仲間に手紙を宛てるシーンで流れる。
「5はほかにも『はるかなる故郷』とか、メインテーマも好きですよ。特にメインテーマは、映画音楽ってこんな感じかなっていうのを自分なりに意識して書きましたね。『BRA★BRA』で吹奏楽をあてたらすごくいい感じになったので、是非聞いてみてください。」

【FF6】ティナのテーマ
物語中盤までのフィールド曲。数々のアレンジがされ、コンサートでも定番となるほど公演される人気曲。
「FF6はお気に入りの曲がいっぱいありすぎて(笑)。ほかにも『妖星乱舞』というラストバトルの曲あるでしょ。あれ4パートに分かれているんだけど、意外と気づかない人多くてショックだったな……。」

【FF7】F.F.VIIメインテーマ
広大な世界を思わせるフィールド曲。物語中、さまざまな場面でこのメロディーが使われている。
「本当に思い出深いんですよ。10分間という長い曲だからプログラマーにお願いして、フィールドからバトルに入って終了した後も、曲を続きから再生してもらえるように調整してもらいました。」

【FF8】Fragments of Memories
ラグナが流れ着いた村・ウィンヒルで流れる曲。
「いいよね~この曲。ほかにもね、『Silence And Motion』(エスタで流れる曲)も好きなんですよ。みんなノーチェックだったでしょ(笑)延々と同じフレーズが続いていくミニマムミュージックっていう手法が現代音楽にあるんだけど、それをシンセっぽい音色に変えてみて、途中から不可思議なリズミックになるようにしてみました。ゲーム中、誰もそこまで聞いてくれないんだけどね……。」

【FF9】いつか帰るところ
ゲーム起動後、タイトル画面で流れるFF9のテーマソング。
「9はこの曲から始まったようなものですね。古楽(こがく)っていう、バロック音楽よりももっと古い、ヨーロッパのクラシック音楽があるんですが、9はすべてそれでいこうと思ってたくらいです。制作にかかる前にヨーロッパでお城見たりして、いろんなイメージ作りをしていました。」

【FF10】素敵だね
ティーダとユウナが思いを分かち合う「聖なる泉」のシーンで使われる、FF10主題歌。
「RIKKIさんと一緒に奄美まで行って、島唄とか聞かせてもらったりしたし、これも大変想い出深いです。10は日本っぽいメロディーが多いですが、世界観が決まりすぎちゃうのもアレなので、ストレートにしないように気をつけていました。」

【番外】○○ DE チョコボ
「一番楽しんでつくってたのはチョコボでしょ?」(by 奥様)
「ウ~ンそうね確かに。ちなみにみんなよく勘違いするんだけど、FF9のは『ウクレレ・DE・チョコボ』じゃないんだぞ。『ウクレ・le・チョコボ』だぞ。僕のダジャレだぞっ。」

9.【エンドタイトル/植松伸夫から、親愛なる皆へ】

植松伸夫さんからメッセージ

●これから社会へ旅立つ人へ、メッセージ

植松さんに憧れて、ゲーム作曲家になりたい、ゲーム会社で働きたい、という若者は多いだろう。

彼らに対し、どんなアドバイスを送っているのだろうか。


「今の人は僕なんかよりずっとずっと譜面も読めるし知識もあるし、コンピューターだって使える。

ただ、さっきも言った通り、みんな “同じこと” をしようとするんだよね。映画みたいなカッコいい曲をつくりたい! とそればかり。でもそれって、『ファッション雑誌で着ている洋服を着たい』って言ってるのと同じなんだよ。

同人誌みたいなのでいいからさ、図太く、自分なりの美意識や価値観に忠実になってほしい。

華々しい花火のような音楽ばかりがもてはやされるけど、地味でもいい音楽はたくさんある。それも必要とされているものなんだよ。流行歌は、それが書ける人が書けばいいの。

『こんなことしたら、俺のこと、こう思われちゃうかも……』とか、そんなのどうでもいいじゃん!
“自分は” 本当は何が好きなのか。それが一番大切だよ。

自分は自分。自分が好きなものに、ウソはつかないこと。

人の目がイヤなら、環境を変えたらいいだけの話。今決めれば、変えられるんだよ。」


筆者自身もそうなのだが、人の目を気にしがちな人は多い。未来を憂いて、なかなか「変えよう」とする決断ができない。

いったい何が決断をにぶらせているのか。それについて、植松さんはこう言い切った。


「めんどくさいからだよ。
新しいことをやるのって、めんどうなんだよ。勇気もいるしね。でも、先のことを考えられるんだったらさ、予言者で食っていけるっての(笑)。」


確かに、その通りだ。
ただ、みんなめんどうなことを「後回し」にしているだけなのだ。


「……まあそういう僕もね、昔から心配性で。なかなか一気に踏み出す勇気がないタイプなの。でもだからこそ、ちっちゃな一歩を地道に続けているんだと思う。

でもこうして大人になってみると……思っているほど、やっかいなことはあまりなかったと感じています。

みんなつい難しく考えすぎちゃうけれど、現実って自分が考えているほどでもないんだって、伝えたいですね。

もちろん、やりたいことに対して思い切って飛び込む手もある。けれど、僕みたいに、自分で踏める階段を重ねていく生き方もあります。

いずれにしても、何か自分のやりたいことを実現させていくように進めば、楽しいですよ。

みんな、生きたいように生きてほしいな。」


夢はかなうと信じ続けた者だけに、夢がかなう “真実” が現れる。

取材の冒頭で、そう植松さんが話していたことを思い出していた。


●取材を終えて……

こうして、約3時間にわたるインタビューは終了した。

植松さんの事務所前には多摩川が流れていて、音大生がよく練習をしているのだそうだ。

多摩川の街に沈みかけている夕日が、なんだかこれから昇っていく朝日にも見えた。


「このご縁に感謝して、ここの土地の神様にご挨拶していこうか。」


帰り道、すぐ近くの神社(植松さんが “心霊写真が撮れる” と言っていた)で、スーパーファミコン世代の筆者と、プレイステーション世代のカメラマンは手を合わせた。


「願わくは~記事のシェアと~アクセスが~いっぱいありますようにぃ~」
「真田さん、大人の事情が口からダダ漏れですよ」
「いいじゃないか、タダだし! シェアされれば、たくさんの人が読んでくれるでしょ」


植松さんも言ってたじゃないか。
“これいいよ!っていう思いをみんなと共有したい” って。


筆者は今年で35になる。
植松さんが『アガスティアの葉』を見た歳だ。


植松さんは今後、FF作曲家とは違う、また大きな「植松伸夫」として、私たちの前に現れる。そして素敵な作品を届けてくれるに違いない。


未来のことはわからないけれど、この “予言” は、きっと当たっていると信じている。


多摩川の夕日 多摩川の景色。(筆者撮影)
株式会社ドッグイヤー・レコーズ
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東急東横線 多摩川駅より徒歩約3分

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[取材執筆・構成]
真田明日美
『Career Groove』編集長兼ライター、かつ歴史好きのゲーマー。歴史系雑誌書籍の編集者を経て現職。旅とゲームとアートが日々の癒しのエンジョイ勢。FFで行きたい場所は「隠者の書庫ダゲレオ」、好きな乗り物は「火力船」。サイクリング中に「悠久の風」を歌っていたら側溝に落ちかけたことがある。

[写真撮影]
富山千尋
某スタジオ勤務のフォトグラファー。主に人物撮影が得意。PC作業中はFFサントラをよく聴く。FF9は人生のバイブル。信念を持ち必死に生きようとするキャラクター達の言葉に励まされながら写真界の「光の戦士(ライティング技術の向上)」を目指している。好きな召喚獣は「シヴァ」。夢は「トンベリと一緒に暮らすこと」。

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