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再受験して北京大学へ。リクルートを辞めて起業へ―すべては“アジアの希望”となるために

株式会社Selan 樋口亜希
樋口 亜希(ひぐち  あき)
株式会社Selan 代表取締役

1989年生まれ。日本人の父と中国人の母を持ち、2~3歳の時に中国・武漢、10~11歳の時にアメリカ・ボストン、18歳~23歳、中国・北京で過ごす。2012年、北京大学国際関係学部を卒業後、リクルートホールディングズに入社。2014年退社後、株式会社Selan(最寄り駅:代官山)を設立、代表取締役に就任する。バイリンガルお姉さんによる語学教育サービス『お迎えシスター』を展開するかたわら、インタビューサイト『belong』の運営のほか、YouTubeにて『Akiの落書きチャイニーズ』を配信するなど、教育を通して“アジアの希望”となるべく日々邁進中。

原体験から生まれた『お迎えシスター』

お迎えシスター

―Selanの事業内容と、樋口さんの現在のご活動についてご説明をお願いします。

  2~9歳のお子さんを対象にした『お迎えシスター』というサービスをメインにやっています。バイリンガルのお姉さん先生がお子さんを幼稚園や学校までお迎えをして、自宅で外国語のレッスンをするというものです。
  全体の95%が英語のレッスンですが、そのほかにも中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語の5か国語に対応しています。

  あとは強みを生かしてハッピーに生きている方にお話を聞くインタビューサイト『belong』の運営や、日常の中国語をポップに教える『Akiの落書きチャイニーズ』という動画の配信もしています。

―『お迎えシスター』は、どんな人が先生をしていますか?

  3年以上の海外滞在経験があるバイリンガルであることのほか、厳しい基準をクリアした人のみ、採用しています。“子供のロールモデルになるお姉さん”をコンセプトとしているため、面接の時はマナーや教養面もチェックしています。

  ちょっと基準が厳しすぎるところもあって正直、先生が足りてない状態なんですが(笑)。

―『お迎えシスター』は、樋口さんご自身の経験から形になったものだそうですね。

  そうなんです。3歳から18歳になるまで毎日、いろんな国籍のお姉さんが迎えに来てくれて、私と妹に語学や自分の国の文化を教えてくれました。私は日本人の父と中国人の母との間に生まれ、両親は私が小さいころから共働きで、毎日忙しい生活を送っていました。

  両親が近くの大学に「我が家の娘2人を迎えに行ってくれる人募集」という張り紙を出し、それから韓国・中国からカナダ、トルコやマレーシアまでいろんな国の留学生のお姉さんが、日替わりで私たちの面倒を見に来てくれるようになりました。

  そのお姉さん達から、語学を教えてもらったことはもちろんですけれど、一番良かったなと思うのが「世界は違う人だらけだ」ということを小さいころに、身をもって体験できたこと。その喜びを、日本中の子どもたちにも感じてもらいたくて始めました。

  子どもたちが大きくなって、自分の幼少期を振り返った時に「あの時、あのお姉さんに出会えてよかったな」と感じてもらえる。そんなことを考えるだけで、ワクワクします。

自分のアイデンティティーは何か――思い悩んだ日々を乗り越えて

株式会社Selan 代表取締役 樋口亜希さん

―お話を伺うと、樋口さんの仕事に対する姿勢はご両親の影響がとても大きいように感じます。どういったご家庭だったのか、差支えない範囲でお話しいただけますか?

  私の母方の祖父母は中国人で、長い間日本で暮らし、日本で知り合い、結婚しました。結婚後、ふたりで中国に帰国したら、ちょうど文化大革命(※)が起こっていました。日本の物を持っているだけでひどい仕打ちをされるほど、めちゃくちゃな時代だったんです。

※文化大革命/プロレタリア文化大革命。1965年から約10年間続いた政治闘争。毛沢東による過激で徹底した思想統制のため、中国全体が内戦状態に陥った。

  そんな時代背景のなかで育ち、父と国際恋愛をした私の母は、いろいろな制圧を乗り越えて結婚し、日本で暮らし始めました。ほかの親戚もブラジルやアメリカ、オーストラリア、マレーシアに移住をしました。なので、夏休みに親戚が集まった時は、いろいろな言葉が飛び交っていました。

  当時うちには、毎日留学生が来てくれていたので、学校の友達から「なんで亜希の家には毎日、外国人のお姉さんがいるの?」「日本語の発音が変だね」と白い目で見られたりして……自分のバックグラウンドを恥ずかしいと思う時期もありました。それからあまり、自分のことについて話さなくなりました。親に「中国語を封印して」とお願いしたこともあります。

  小学4年生の時、父の仕事の関係で家族でアメリカに引っ越しました。そこでは、いろんな人種の方が自分のバックグラウンドに誇りと自信を持って生きている……とても衝撃を受けました。その時、「私は私でいいんだ」と思ったんです。それからは少しずつ自分に自信を持てるようになりました。

Selan樋口亜希さん

―アメリカでの経験が、樋口さんの人生を前向きにさせたのですね。大学は北京大だそうですが、中国の大学を受験したのはなぜですか?

  最初は日本の大学に行こうと思ったのですが、受験に失敗し、志望校に行けなかったんです。それで別の大学に入ったんですが、心がずっとモヤモヤしていて。この大学で4年間過ごしたことへの後悔ではなく、「再挑戦しなかったこと」を一生悔やむんじゃないかって。

  そこで、両親にも相談して、国外の学校も含めてもう一度、大学受験に挑戦しようと考えました。そこでまず中国に行ってみたら……滞在して3日間で、すっごく気に入っちゃったんです(笑)。

  中国の人たちはみんな、いい意味でも悪い意味でも、ずる賢くて貪欲で、いい意味で打算的(笑)。のほほ~んと生きてきた私にとって、それはもう刺激的で、ここの北京大学を受験することを決めました。父も同じ大学を出ていて、「一か八かだけど、亜希に覚悟があるんだったら、行ってきなさい」と言ってくれました。

―なるほど。北京大といえば、日本でいう東大や京大にあたる、中国で一番の名門校ですよね。相当な勉強量と中国語のスキルが求められそうですが。

  当時、私は中国語が全然できなかったので、中国語の勉強をしながら受験勉強をするという9か月でした。その間に3回、ストレス性胃炎で入院して……おかげで、通っていた病院のお医者さんや看護師さんとはすごく仲良くなりました(笑)。もともと、体力がある方ではないので、気力でなんとかしていました……。

―気力との勝負だったんですね。根底にあったモチベーションは何だったのでしょう?

  私の名前は「亜希」というんですが、これは“アジアの希望となるように”という両親の想いが込められているんです。小さいころからよく学校の作文で、「アジアの希望になりたい」と書いていたので、こうして北京の大学に行くのは、きっとその第一歩なのかも!と、思ったんです。

  でも、本音を言うと、後戻りできない恐怖感が大きかったですね(笑)。日本の大学を辞めていたので、「もう後戻りはできない」という焦りと恐怖がより自分を奮い立たせていた気がします。でも、今振り返ると、先に退路を絶ったのは、再チャレンジする上で、一番重要なポイントだったと思っています。

―中国では、ご自分で生活のやりくりをされていたんですか?

  中国では、そもそも学生がアルバイトをするという考えがありません。アルバイト賃金が安いので、割に合わないんです。

  なので、学生のほとんどは、仕送りだけで生活しています。私は1年~3年時は親からの仕送りで生活し、4年時は、中国政府の国家奨学金をいただくことができたので、学費、寮費、生活費、渡航費など留学にかかる費用をほとんどカバーしてもらっていました。

―中国には勉強に集中できる環境があるんですね。

  はい。でも2つだけ、アルバイトをしていましたよ。

  1つは2008年の北京オリンピックの時、テレ朝の北京支局で通訳・翻訳の仕事と、記者のアシスタントをしていました。もう1つは日本語の教育出版社での録音バイトです。日本語のテキストの裏に付帯しているリスニングCDの日本語の録音をする仕事でした。両方とも、すっごく楽しくて。

  その時思ったんです。世の中、お金を稼ごうと思ったらいくらでも手段はあります。だから、「今しかできないことをしよう」と。それこそが、一番価値の高い時間の使い方なんじゃないかな、と思いました。

矛盾だらけの日本の就活システム。根底から教育を変えたくて

セラン樋口亜希代表

―北京大学を卒業されてからは、リクルートに入社されていますね。こちらはどういった経緯からですか?

  リクルートが主宰する海外大生をターゲットにした就職イベントに行ったのがきっかけです。そこで相談していたリクルートのキャリアコンサルタントの方が「君、うちに合ってるんじゃない?」と言ってくださり……気づいたら入社していました(笑)。

―中国で就職しようとは思わなかったのですか?

  全く思わなかったですね。やはり私は日本人としてのアイデンティティーが一番強かったし、日本人として“アジアの希望になる”ためには、日本で発信していくことに意味があると思っていました。

―どうしてリクルートに?

  私はもともと、「日本の就職活動」に疑問を持っていました。
  日本の就活を見ていると、みんな「私ってどんな人?」と“自己分析”から始めるんですよね。

  20歳になって初めて「私って何者なんだろう?」と考えるのには、とても違和感がありました。しかも、自己分析して自分と他人を差別化したいと思っている一方、一様に同じリクルートスーツを着て、同じ髪型にしている。
  「矛盾が多く、堅苦しい日本の就活システムを変えたい!」それが、私がリクルートを選んだ一番の理由です。

―リクルートにいる中で印象深いエピソードはありますか?

  そうですね、もう、失敗談は挙げたらキリがないです(笑)。
  新卒のうち、私だけ10月入社だったので研修の時間は2日間しかなく、マナーも敬語もわからなくて……当初、自分の名刺を巾着袋に入れていて、お客さんの前で巾着袋から取り出して渡していたり、同じ社名の別会社のところへアポに行ってしまったり、50万円のお見積を5000万円にして、お客様に送ってしまったり。何度怒られたか分かりません(笑)。

  迷惑を振りまきすぎて、頭が上がりませんが、本当にお客様に育てられた感じです(笑)今でも仲良しの方もいて、たまにご挨拶に行っています!

自分と向き合い、導き出した“人生の選択肢”

株式会社Selan 設立について

―リクルートに入って2年弱ほどで退職され、Selanを設立されていますね。

  広告の営業は楽しくて仕方がなかったんですが、会社に勤めながら、社外の「グローバル」「キャリア」をテーマにしたイベント運営を手伝っていて。そのなかで、私はやっぱりそのキーワードに興味があるんだと気づいたんです。

  社内で、それを実現するにはあと5年かかることが分かり……それならもう「ここが辞め時かも」と思って、1年9か月で辞めちゃいました。でも、この時点では具体的に何をやるかは決まってなかったんです。

  リクルートを辞めてからは、ベンチャー企業でアルバイトをしながら、3か月で300人くらいの人にお会いし「本当に楽しく生きている人」の共通点を探していたんです。それでわかったのが、みんな「自分の強いアイデンティティーを持っている」ということでした。

  それで私のアイデンティティーを形づくった一番大きな要素は何か、と考えた時、小さいころ毎日いろんな国のお姉さんが来ていてくれたことだなと気付いたんです。

  この世には、自分と違う人がたくさんいる。それを知る喜びを、子どもたちに広めていけたら。そんな想いで、Selanを立ち上げました。

  Selanは“人生に多くの選択肢を。”というコンセプトのなかで活動しています。『お迎えシスター』に限らず、子どもたちに選択肢を広げるきっかけを与えられるような事業を、どんどん展開していきたいなと思っています。

―インタビューサイト『belong』の運営など、樋口さん独自の活動も注目されています。なかでもyoutubeで配信されている中国語レッスン『Akiの落書きチャイニーズ』は現在34本、初回の視聴回数が30,000回に届くほどの勢いとなっていて、大変好評ですね。

  本当に遊びで始めたんで……まさか自分でも、こんなに続くとは思ってなかったんです。友達に「中国語のレッスン始めてみたら」と薦められたのがきっかけなんですが、もともとそんなにYouTubeを見る方じゃなかったので。試しに1個だけ、と思って作ってみたら、もう……配信するのが楽しい、というより、動画編集のほうにハマっちゃって(笑)。

  私こういう、細かいことにこだわって、ちょっとずつ自分の作品になっていくのって好きなんだなということを知りましたね。それがモチベーションになっています。動画は全くの未知の領域でしたが、今は本当に楽しんでやっています!

自分を活かして人に幸せを与えたい。失敗しても前向きに!

アジアの希望を目指す樋口亜希さん

―“アジアの希望”となるために、具体的に目標としていることはありますか?

  長期的には、将来、アジアの子供たちに向けた奨学金制度をつくりたいと思っています。子どものころから大きくなるまで継続的に、ライフタイムでサポートできるような奨学金です。学業に限らず、「奨“遊”金」みたいな名前でもいいと思うんです。資金面だけでなく、ノウハウやネットワークなども提供し、そこから「自分が本当にしたいこと」「自分らしく生きる道」を見出せる制度を創りたいんです。

―樋口さんにとって、“仕事”とは何でしょうか。

  私は、2つあると思っています。1つは自分のアイデンティティーを活かすツール。もう1つは、人の人生にプラスαの幸せを与えるツールです。

  自分が幸せじゃないと人を幸せにはできないと思うし、でも自己満足で終わったら仕事としてやるべきではなく、それは趣味の範囲だなと思うので両方が成り立ってこそ仕事としての意義があるのかなと思います。

―それでは、これから社会に向けて羽ばたく若い人へ、メッセージをお願いします。

  Selanはまだ始まったばかりのスタートアップで、うまくいかないことも多く、落胆する日もいっぱいあります。

  でもうまくいかない時は、「この方法がうまくいかないということを、今この時点で知れて良かった~!私はなんてラッキーなんだろう♪」って思うようにしています(笑)。

  誰でも必ず失敗はします。心の持ちようでいくらでも見方を変えられるんだということを、私も起業してから、少しずつ学んでいます。一緒にがんばりましょう!

Selanのお迎えシスター <株式会社Selan>
〒150-0034 東京都渋谷区代官山町9-10 SodaCCo4F
東急東横線 代官山駅より徒歩約7分

[取材・執筆・構成・撮影(インタビュー写真)] 真田明日美

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