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自分に答えを与えてくれるのは、「友」と「本」
―石の上にも5年。焦らずに可能性を探そう―

株式会社渡部商店・歴史クリエイター 渡部麗
渡部 麗(わたなべ  りょう)
株式会社渡部商店 代表取締役
歴史クリエイター「レキシズル」首脳

1974年生まれ、東京都出身。歴史をネタに様々なイベントを企画・実践する、歴史クリエイター。1999年2月、株式会社渡部商店を設立、代表取締役に就任。音楽レーベル業を開始するほか、ショットバー渡部商店を開店。同年7月、美容外科のTVCMタイアップ曲を手がけ、アーティスト、ラジオパーソナリティとして活動するなか、2009年2月4日、歴史をポップ化し、歴史好きの交流活性化を目指すプロジェクト「レキシズル」の活動をスタート。毎週水曜開店の、歴史好き同士で語り合えるバーをコンセプトにした「レキシズルバー」がTV番組で放送されたのをきっかけとして、多数メディアに出演。各地で歴史系イベントの企画・運営を担当するなど、日本全国・海外にまで活動の場を広げる。「レキシズルスペース」では、『TERAKOYA』『いま粋モーション』など各種イベントを展開。2015年現在ではWebサイト『歴人マガジン』にて幕末をテーマにコラムを連載するなど、歴史好きを増やすべく日々鋭意活動中。

バンドマンから広告代理業へ……「レキシズル」誕生秘話

歴史クリエイター渡部麗さん

―まずは、渡部さんが代表取締役を務めておられる、渡部商店についてご説明をお願いいたします。

  もともとは音楽レーベル業を手がけている会社です。僕自身がバンドマンでしたので、作曲した音源、CDをインディーズレーベルとして出していました。でも音楽をつくっても、なかなかビッグヒットまではつながらない。そんななか、母の提案もあり、母がやっていた広告代理業務(株式会社オフィス・イヴ。1973年創業)を、2001年10月に引き継ぐことになりました。

  それと、ここ御茶ノ水の自社ビル1Fに、先代からやっているショットバーがあります。僕もここでバーテンダーとして働き、そのお金でライブをやったりもしていまして。だから、音楽レーベルと飲食、そこに広告業が乗っかっていった形です。

  広告業を引き継いでからはプランニングやキャッチコピーの作成と、広告全般を手がけるようになり、いつのまにか広告業がメインになっていきました。広告って、CMなんかを見ればわかる通り、音楽と親和性があるんですよ。なので、広告の特徴を活かしてラジオのCMソングをつくるなど、広告と音楽を連動させている時代もありました。

―渡部さんといえば、「レキシズル」プロジェクトを先導する、歴史クリエイターとしての活動が印象的です。それを始めた経緯をお聞かせください。

  まず、レキシズルとは「歴史」に、広告業界で食べ物や飲み物のみずみずしさを感覚的に訴える「シズル感」という用語を組み合わせた造語です。2006年くらいから、歴史雑誌『歴史街道』さんの広告を渡部商店が扱っていて、渡部商店の担当である『歴史街道』の出版社・PHP研究所の営業さんとも仲良くさせていただきました。そんなある時、その営業さんと、「もっと歴史を盛り上げたい」という話になったんですよ。

  そうなると、広告を取り扱っている身としては、雑誌自体がもっと読まれないといけないですよね。そこで、ターゲットをコアな歴史好きだけでなく、ライト層にもうまくはめこめられないかと考えました。これが歴史プロジェクト「レキシズル」の発端です。

  渡部商店がサポートする形で、営業さんと何度も相談しては実践してみましたが、どれも全くうまくいかずで。そんななか、2008年の6月、毎週水曜日限定で、歴史好きが語り合えるバーとして「歴史バー(のちのレキシズルバー)」も始めたんですが、そのうち営業の人の別の仕事が忙しくなってきちゃったんです。それで、2009年2月から「レキシズル」として、うち主導の活動に切り替えました。うちは4マス系(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌の総称)の扱いがメインなのでネットの存在が脅威となっていたし、これは何か自社コンテンツがないとこの先キツいぞ、と感じていたのも、理由のひとつですね。

コア層からライト層へ。敷居を低くするための「歴史のポップ化」

レキシズルバーにて 外にも歴史好きであふれるレキシズルバー。

―毎週水曜日に、歴史をコンセプトにした「レキシズルバー」を開店しているとのことですが、実際にはどういったものでしょう?

  歴史上の人物をイメージしたカクテルを提供するほか、ユーザーが自分の好きな歴史のテーマについて語る『数寄語り(すきがたり)』というイベントを行ったりもします。うちのバーは12席のカウンター席しかないんですが、だいたいいつも店のなかに15、6人、多い時だと店の外にまであふれて、40人くらいになったりしますね。

―ほかのバーではまず見ない光景ですね(笑)。『数寄語り』以外の時でも、そうして集まった歴史好きの間では、何か歴史に関する特定の話題に関してディスカッションをしたりするんでしょうか?

  最初のころはコアな歴史好きが来ていて、お互いに歴史の深い話で盛り上がっていました。そういう人たちも、自分と対等に、同じ知識量で話せる人を求めていたのもありましたし。僕も歴史は物心ついた時から好きだったし、よかったな、と思ってたんですけど……やっていくうちに、このままだとコア層だけの狭い世界で終わるな、と感じたんです。なかには自分の知識量を誇らしげにして、歴史に詳しくない人を馬鹿にするような人も、ちょこちょこと出てきてしまって。これはちょっとレキシズルが目指す方向と違う、もっと歴史好きの人たち自身がいい意味でフレンドリーになって、コミュニケーション能力を高める必要があるなと。新しい歴史好きの人たちが気兼ねなく入ってこれるように、歴史というものを「ポップ化」していかないといけないな、と思い始めました。

  ちょうどそんな時「歴史イベントのプレゼンターをやってくれないか」というオファーが来たんです。そこで、スライドを使って歴史のことをわかりやすく、エンターテイメント要素を取り入れた形のプレゼンテーションをやりました。これが、現在も同じビル3Fのレキシズルスペースで行っている『TERAKOYA(テラコヤ)』の始まりです。これをし始めてから「あんまり詳しくないけど歴史は好きだし、勉強したい」というライト層が集まってくれるようになりましたね。

―レキシズルのプロジェクトが始動したころは、いわゆる「歴女(レキジョ)ブーム」で盛り上がっていましたね。

  「歴女が集まるバーがあるらしい」という情報をつかんだメディアからの取材が入るようになったんです。一番反響が大きかったのがTBSの『王様のブランチ』に取り上げてもらったこと。各地、各媒体から取材が来て、お客さんも東京以外から来る人も多くなって。レキシズルそのものよりも、まずバーが先行して有名になっちゃいました。

  『TERAKOYA』を始めとしたレキシズルのイベントを通して、歴史好きの輪が広がり、歴史のおもしろさが発信されて、また誰かが歴史を好きになって……と、もう7年近くレキシズルをやってきましたが、ようやくこうしたいい流れになって、活動が実を結んできたのかなって思ってます。

異国から日本を見つめて気づいた、「日本人」としての誇り

レキシズルスペースにて 3Fレキシズルスペースにてプレゼンを行う渡部さん。

―渡部さんの学生時代についてお聞きします。アルバイトはされていましたか?

  高校生の間は、アルバイトはコンビニ店員をずっとやっていましたね。高校卒業してからは、音楽イベントのスタッフとか。実は、それからすぐにアメリカに渡って英語学校に入学したんですよ。マーケティングを学びにいく、という体で。でも全然勉強しなかった(笑)。バスケばっかりしていましたね。

  帰国してからは、バンドをやりつつ、携帯電話の営業をしていました。ちょうど携帯が出てきたころでして、これはすごく鍛えられましたね。ほかに土木作業員のバイトもやりましたし、いろいろな職種を経験しました。

―何かそこから今につながっていることはありますか?

  さっきの携帯の営業なんて、マネージャーがアポを入れてくれるんですが、その入れ方が無茶苦茶なんです。タイムスケジュールを見ると、例えば横浜から田端まで、普通に行けば電車の移動時間だけで50分はかかるのに、そこを30分のスパンで組まれてる(笑)。マネージャーに、「これ無理ですよね?」っ言っても「それをなんとかするのが営業なんだ」っていわれて。今考えるとひどいんですけど、僕も言われて「そうだな」って思っちゃって(笑)。で、お客さんへ時間調整の交渉をしたりするわけですが、そういった不測の事態にどう対処するかのアレンジ力みたいなのはすごく鍛えられましたし、確実に今の血肉になっていますね。

  バーテンダーの仕事ではコミュニケーション能力もついたと感じますし、人を見る目も養えましたね。もうバーテンダー自体は16年はやっていますが、最近になって気づいたんですよ、これは素晴らしい仕事だって。そうやって学生時代に経験したことは結構、今の歳になってわかったりします。ただ、そう気づくまでが本当に大変なんですけどね。

―アメリカに行った経験から、何か得たことはありますか?

  ひとつよかったのは、日本がすごくいい国なんだなって気づけたことです。アメリカにいる間も、日本の歴史の本……特に司馬遼太郎の小説をよく読んでいたんですが、外(アメリカ)から日本を見ているような感覚を持て、日本人としてのアイデンティティをすごく意識するようになり、誇れるようになりました。だから海外に行くのはオススメしたいです。とても日本が好きになると思います。

  あと、実は意外と、アメリカは薄っぺらいなって思ったんです。「侘び寂び」のような物事に対する深い視点とか、それこそ歴史とか文化なんかは、圧倒的に日本のほうがかっこいいじゃんって。この経験は、僕の人生のなかでも大きなエッセンスになっていますね。

「石の上にも5年」で一歩一歩進んでいく。そして活動の舞台は世界へ

レキシズルバー上のレキシズルスペース 『TERAKOYA』の様子。男女・年代・職業問わず、幅広い層が参加する。

―渡部さんが仕事をするうえでポリシーとしていることは何ですか?

  ポリシーというか仕事に対する僕のスタイルということになりますが、公私一体ってことですね。「仕事とプライベートのスイッチを切り替えよう」といったテーマの本も読んではみたんですけど、自分には合ってないなって思いました。バーをやっている関係もありますが、夜中でも仕事のことを考えますしね。

  これは学生さんに向けたことになりますが、よっぽどでない限りひとつのところで、5年はがんばったほうがいいなと思っています。先ほど話しましたように、バーテンダーも10年以上やって、ようやくその深さに気づけたくらいなので。「石の上にも3年」といいますが、3年じゃ足りないと思うんです。5年続けてようやく、次に活きていくんじゃないかと。

  今はどこか、変にアメリカ的になっちゃってますよね。転職を繰り返すって考え方。僕はそれ、日本人には基本的に合わないと思いますよ。やっぱ職人の国だったわけだから、こつこつと継続してやれるような、元来日本人に合っている働く形があると思うんで。

―渡部さんの今後のビジョンをお聞かせください。

  業務に関してはあまりにも手広くやっているので、今後は今やっていることを一歩一歩進めて、定着させて、拡散させていくことに注力していきます。あとは、どんどん海外に出て、歴史をプレゼンテーションしたい。特に幕末の歴史ですね。幕末はサムライの最後の時代であり、日本が世界の入口に立つ時代なので、向こうの人にも伝わりやすいんですよ。

  実は今も結構、レキシズル関係でヨーロッパやイタリアのサンマリノへ行ったりしています。サンマリノの駐日外交団長のカデロさん(マンリオ・カデロ閣下。敬虔なクリスチャンながら日本の神道に心酔し『だから日本は世界から尊敬される』[小学館新書]などの著書を発刊)と仲良くさせてもらっていて。昨年(2014年)、サンマリノに神社ができたんですが、その関係でもっと日本文化をいろいろしかけていこうと思ってます。学生のころアメリカには行きましたが、英語なんてほとんど忘れちゃったのでまた勉強して、ペラペラまで行かずとも「ぺラペ」まで持っていきたいな(笑)。

―例えば、そのように海外にまでお仕事の幅を広げるためには、どういったことが大切なんでしょう?

  やはり人脈がないと難しいでしょうね。でもね、出会うもんなんですよ、動いていると(笑)。僕なんかは基本的に箱(バーやスペース)があるので、ここから出ないって方法もあるんですけど、そうしたらやっぱり人の輪は広がらないですよ。だから、IT系の人との交流会とかも積極的に行きます。ひとりぼっちになったりもしますけど、そんな経験も必要です。続けていくと「あ、ここはおもしろい人たちが集まってるな」というのがだんだんわかってきますから、自分から行動するというのは大事だと思いますね。

難しく考えなくていい。本を読んで、人と出会おう

バーにて常連さんと語らう渡部麗さん レキシズルバーにて。右から渡部麗さん、常連で『TERAKOYA』の講師も行う安東康[あんどう やすし]さん、「長曾我部最高委員会」大将 林太一[はやし たいち]さん。

―今、悩んでいる学生へ、アドバイスがあればお聞かせください。

  僕自身も学生のころから何か強い想いを持って動いてきたわけではないので、今、何していいかわかんないとか、ちょっと自分は腐っているとか、そういう気持ちはすごく分かります。だから、まずはその腐っている自分を認めることでしょうな。客観的に自分を見て、自分のできること、得意なものを絞ってみたらどうでしょう? 僕もそういうのを見定めた結果、そのすべてが今の僕の武器になっていますから。

  あとは「本を読む」「友達をつくる」です。本にはヒントがありますし、人との出会いによって、何かしら得ることがありますよ。例えば、友達が何かにハマッて夢中になっているのを見たら、「俺もなんかやんないと」とか、ちょっと影響受けるでしょ(笑)。そういう、根本的なことから始めてみるだけで、現状を打破できるきっかけが見つかると思います。

  今の人は、ちょっと物事を難しく考えすぎています。それは、行動することに億劫になっているだけなんですよね、実は。心理的に鎖国してる(笑)。そうするほうが楽だから気持ちはわかるけど、それによって負のスパイラルになってしまっている。そこはもう、他人は関係なくて、自分がそういうモードにしちゃってるせいだから、それを切り替えるスイッチみたいなものを探してほしいかな、と思います。

―渡部さんは本をたくさん読んでおられますよね。学生の方におすすめの本などはありますか?

  司馬遼太郎の『世に棲む日日』かな。幕末の思想家・吉田松陰と、その弟子で「奇兵隊」を創設した高杉晋作の2人を軸に描いた歴史小説です。今(2015年)の大河ドラマでも注目されていますしね。高校出てアメリカへ行っていた時に出会った本なんです。

  吉田松陰は、法で禁じられていようが命に関わろうが、自分の「志」のためならすぐに実行に移しちゃう、超行動派の人。今の日本人に足りないものを持っていて、心に火をつける人です。スイッチ入りっぱなしなので、少しはオフれよと思いますが(笑)。でも、だからこそ、今の迷っている学生さんに読んでもらいたいかな。自分には必ず可能性があるということに、気づけると思います。それに松陰は人間が大好きなんで、そういったところとか、今の若い人たちが読むとどう思うのかな?という興味もあります。

―渡部さんご自身も、「志」を持って行動した吉田松陰を尊敬しているんですよね。でも、今の若い人にはそういった「尊敬する人」「ロールモデルとなる大人」がいない、というのをよく耳にします。

  そんなに、すぐ答えを出そうとしなくてもいいんじゃないかな。今は何でも急ぎすぎている気がします。きっとインターネットの影響もあって、世の中がそれを急がせちゃっているのかもしれないですね。

  誰にでも、自分自身のリズムとか、ペースがあるんですよ。自分を一番応援できるのは自分ですから、一度冷静に自分を客観的に見て、向き合う時間をつくったほうがいい。精神的に楽をする時と、ここはふんばらなきゃならないって時を、技術として見定められるようになるといいですね。心のバランス。

  僕はわりと楽天主義なんですが、もちろんネガティブに入る時もあります。そんな時は友達と会って一緒に飲んだりして、救ってもらうことが多いですね。ふと、ひとりになりたい時もありますが、それは1日でいいです(笑)。友達がいるだけで、ずいぶん違うんじゃないかな。僕も今になって、中学・高校の同級生とかと会うようになりました。そういうのが、とても愛おしくなってくるんです、40にもなると。価値観を共有できる世代が一緒で、何もわかってないころから一緒にいた人の存在っていうのは大きいです。

  友達は素晴らしい財産ですから、大事にしましょう。そして本を読んで、人生のヒントをつかんでください。

[取材]高橋秀明・真田明日美 [執筆・構成・撮影(インタビュー写真)]真田明日美

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