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元マッキンゼーのMBAホルダー篠田氏が「ほぼ日刊イトイ新聞」に移った理由とは?
 

株式会社ほぼ日 篠田真貴子
篠田 真貴子(しのだ まきこ)
株式会社東京糸井重里事務所(現:株式会社ほぼ日) 取締役CFO管理部長

1968年、東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。1991年、日本長期信用銀行(現・新生銀行)に入行後、1996~1999年、ペンシルバニア大学ウォートン校にてMBAを、ジョンズ・ホプキンス大学では国際関係論の修士学位を取得する。1998年にマッキンゼー・アンド・カンパニーにて経営コンサルティングに従事。2002年、ノバルティスファーマ株式会社に転職し、人事部を経てメディカル・ニュートリション事業部で経営企画統括部長を務め、5年後ネスレニュートリション株式会社に移籍する。翌年の2008年、株式会社東京糸井重里事務所(現:株式会社ほぼ日 最寄り駅:外苑前)に転職。2009年より現職。

※2017.8.30update 社名変更にともない、加筆修正。記事内のサービス名、取材対象者の役職は取材当時のものとなります。

人々に楽しんでもらえるコンテンツを生み出し続ける

東京糸井重里事務所の篠田真貴子さん

―まずは、東京糸井重里事務所の事業内容について教えてください。

  「ほぼ日刊イトイ新聞」というWebサイトを運営しており、1998年6月にスタートして17年間、毎日更新を続けています。一般のWebメディアは、バナー広告などを掲載したり、コンテンツに課金をしたりする事業モデルが多いと思いますが、「ほぼ日」は私が知るかぎりでは世界で唯一、そういったことをやっておらず、オリジナル商品の企画と販売で収益を上げている会社です。

  無料で楽しんでいただけるサイト内のコンテンツもオリジナル商品も、全く等しいコンテンツであると考えています。それは、つくり手の私たちが、世の中のみなさんに楽しんでいただくためのアイディアであるということ。それが、たまたま商品という形をとったり、読み物あるいは動画という形をとっているだけであって、つくっている私たちの姿勢は同じなんです。

  主力商品としては「ほぼ日手帳」がありますが、おかげさまで2014年版は年間50万部を達成しまして、カジュアル手帳の領域ではおそらく日本で一番売れている手帳だと思います。2015年版は現在も販売中です。毎年、新しいカバーのデザインを発売するなど、みなさんに楽しんでいただけるよう考えています。それ以外にもハラマキやタオルを企画・販売したり、本を出版したり、最近では女性向けアパレルも展開し始めました。

仕事にポジティブなイメージを与えてくれたアルバイト

学生時代について語る篠田さん

―続いて、篠田さんご自身に関するお話をうかがっていきたいと思います。学生時代はどんなふうに過ごされていましたか?

  私は、大学付属の一貫校から大学に入ったので、大学受験をしていないんですね。そのせいか、大学に入った時にはすでに遊び終わったような感覚があって(笑)。スキーサークルに所属していましたが、それ以上におもしろい授業や、その授業で一緒だった友達との出会いが印象に残っていますね。大学の時に出会った仲間との交流は今でも続いています。

  昔から知的好奇心が強いタイプで、大学3年生の時には日米の学生とビジネスマンが一堂に集まる「ビジネス・トモロー」というイベントに参加したこともありました。当時はバブル期だったので、企業スポンサーがついていて、アメリカに派遣してもらえる我々学生は、飛行機代もタダで、会期中に宿泊するホテルもタイムズスクエアのすごく素敵なホテルでした。今では考えられないですけど、本当にきらびやかな体験ができましたね。

―学生時代、アルバイトをされたこともありますか?

  していました。なかでも印象に残っているアルバイトがふたつあります。ひとつは高校3年生の後半から大学の初めのころまでやっていたドミノピザの電話注文を受けるアルバイトです。そこはドミノピザの日本1号店でした。上陸したばかりで知名度がないので、お客さんはほとんどが外国人。ですので、アルバイトは全員英語ができないといけなかったんですよ。

  それが初めてのアルバイト経験だったので、すべてが貴重な学びでした。始めた時は高校生だったので、大人たちと一緒に仕事をすることで自分の世界がグンと広がったような気がしました。今振り返ってみると、働くことに対して、すごくポジティブなイメージから入れたことがよかったなと思います。つらい経験から始まってしまうと、仕事に対して前向きになれなくなる場合もあるんじゃないかなって。そういう意味で、私は運がよかったと思いますね。

  もうひとつは、大学3、4年のころにやっていた法律事務所で文書を作成するアルバイトです。日本の企業が海外の企業と事業を行う際の法務を担当している法律事務所があって、そこで夜だけ働いていました。弁護士さんが手で書いたり赤入れをした契約書を、ワープロ専用機で打つというお仕事です。当時はパソコンではきれいな文書が作成できなかったんですよ。

  契約書の内容は全部英語ですし、私は法学部でもないので、初めは全然意味がわからなかったんですが、やっていくうちに何となく理解できるようになってくるんですよね。広告代理店と外国の超有名人の契約書があったり、ゲームを海外市場で売るためのライセンス契約があったり。こういう時にはこんな契約書が必要なんだなと、楽しみながら働いていました。

自分にフィットしない仕事を辞め、アメリカへ留学

新卒時代について語る篠田真貴子さん

―新卒で日本長期信用銀行(現・新生銀行)に入行されていますが、就職活動はどのように行ったのですか?

  結婚・出産してもずっと働いていたいという気持ちがありましたが、私が就職活動をしていた1990年は男女雇用機会均等法が施行されてまだ4年で、ロールモデルとなるような女性の先輩がいなかったんです。だから、そういったチャンスがある企業を探していました。

  いずれ外国にも行きたいから、外資系もいいなと思っていたのですが、親にも意見を聞いてみたら、「まずは日本の会社に入ったほうがいい」と言われたんです。当時、日本の企業で中途採用をしているところは皆無だったんですよ。ちなみに、日本企業が少しずつ中途採用を始めたのは2000年ごろからです。景気が悪くなって、今までの事業だけでは回らなくなって希望退職を募ったり、別事業をスピーディーに立ち上げねばならず新卒で育ててきた人材だけでは間に合わない……といった新しい状況に日本企業も対応し始めたんですね。

  ……話がそれてしまいました。そういうわけで、私の就職活動にあたっては、日本企業は新卒でしか入れないけれど、外資系はあとからでも中途入社という道があると、親の意見に納得する形で日本の企業に絞りました。

  そんなタイミングで、銀行が一斉に面接を始めて。入ることになった日本長期信用銀行は1日のうちに一気に面接を4回やって、その日の深夜に内定の電話が来たんです(笑)。どこも新卒学生の取り合いだから、スピード勝負なんですよね。ほかにも興味のある企業はありましたが、内定をもらって緊張の糸が切れたというか、ホッとしたのもあって、就職活動はそこでおしまいにし、日本長期信用銀行に入ることにしました。

―実際に社会人となって銀行で働いてみて、いかがでしたか?

  全然合わなくて、本当にダメダメな社員だったんですよ。銀行で新入社員に求められることは、事務処理能力なんです。それが私には全くなくて……。ハンコもまっすぐに押せなかったですから。いまだに押印は苦手です(笑)。

  2年ぐらい経ってリスク管理に関連する部門に異動になりました。当時は世界中の銀行で、ディーリング(金融機関が自己の負担で行う為替や証券の取引)をするなら、リスク管理をきちんと行うべきという流れが出てきた時期なんです。そういった仕組みをどのようにして銀行に取り入れるか。先輩方がゼロから仕組みをつくり始めていて、そこのチームに入りました。

  かなり難しい仕事でしたが、外国の事例を翻訳したり海外支店への出張をさせてもらえたり、帰国子女でしたので得意の英語を活かしながら働くことができました。でも、本質的に自分は銀行には合わないという想いが拭いきれずに、4年ちょっとで辞めて、アメリカのビジネススクールに行くことにしました。

―ビジネススクールに行こうという気持ちは、銀行で働くうちに出てきたんでしょうか?

  そうですね。留学したいという想いもありましたが、銀行は転勤が多く、自分の人生をコントロールしにくいことと、このままこの環境下にいても女性にとっては不利だなというイメージを持ってしまって……。先輩がたにはとてもよくしていただきましたが、当時は社内も世の中も、まだまだ女性がキャリアを積むことを応援するムードがなかったんですよね。だから、「ビジネスができる」というわかりやすい看板がないと、この先キャリアアップしていくには厳しいんじゃないかと思いました。

喜びや挫折、迷いを経験しながらキャリアと向き合う

篠田真貴子CFO

―ビジネススクールに通っている時に、マッキンゼーでインターンを始められたんですよね。それはどういったきっかけで?

  あんなに銀行が合わないと思っていたのに、世銀で働くことに憧れがあったんです。それで、ビジネススクールと国際関係論を両方専攻できるようなプログラムに入りました。

  国際関係論のプログラムには世銀で働いている講師がいらっしゃったんですが、お話を聞いているうちに、自分が思っていた以上に世銀が官僚組織であることがわかって。ビジネススクールも金融に強くて有名な学校だったので、同級生はみんな金融業界に対する情熱がすごいんです。私はここまで興味が持てないと思ってしまって……想定していた進路がすべて閉ざされてしまったんですよね。その時はどうしたらいいのかわかりませんでした。

  でも、ITバブルの時期と重なったこともあって、名のあるビジネススクールには、マッキンゼーやゴールドマン・サックスといった企業が、1、2年の夏休みの間のインターンの採用のために、わざわざ東京からアメリカの学校まで来てくれるんです。そこでいくつか面接を受けて、マッキンゼーから内定をいただきました。金融ではないところで自分を試せる機会がいただけて安心したのを覚えています。

  実際にマッキンゼーの東京オフィスでインターンをしたら、すごく楽しかったし、自分に合っているなと感じました。幸い周りの方も評価してくださって、インターンが終わるタイミングで社員としての内定をいただいたんです。

―マッキンゼーで4年間働いて、また転職をされます。これはどうしてですか?

  させられた……と言ってしまうと、語弊がありますけど(笑)。マッキンゼーはメディアなどでも書かれているように、「UP or OUT(昇進するか去るか)」という姿勢があって、ある一定期間で昇格しなかったら、去らなければならない。私は後者だったんですよ。マッキンゼーに入った当初はほめていただいたから、調子に乗っていたんですよね。

  でも、もちろんそんなに生やさしい会社ではありません。最後の半年では、ここで挽回しないと厳しいというところまできて、必死になったんです。がんばったことは認めてもらえたけれど、基準には満たなかった。それで次はどうしようって……またビジネススクールで進路が閉ざされた時のような状態に逆戻りしたんです。

―その後、ノバルティスファーマに転職されて、人事のお仕事をされます。

  マッキンゼー時代に製薬会社のコンサルティングの経験があったこともあり、ご縁あってノバルティスファーマに転職して、人事を担当しました。人事や組織というテーマには興味もあったのでありがたかったです。

  当時、人事部で仕組みを見直すようなプロジェクトが動いていたのですが、それを回している時に妊娠しまして、タイミングよくプロジェクトを仕上げて、産休に入って4ヶ月後に戻ってきて。戻ってきた時はマーケティングとファイナンスの選択肢があったのですが、ファイナンスの仕事であれば内勤で子育てとの両立もできるだろうと思い、事業部のファイナンス担当として異動しました。

  のちに事業部がネスレに買収されて転籍することになるのですが、その発表があった直後に2人目を妊娠が発覚したんです。

出産と仕事の両立について篠田さん語る

―2人目を出産するとなると、またひとりの時とは違う課題が出そうですね……。

  そうなんです。自分でも「こんなタイミングで妊娠……」と思っていましたし、周りの人も思っていたと思います。でも、ありがたかったのは、子育てと仕事をきちんと両立させている女性の上司が複数いたこと。

  ある上司はフランス人で2児の母。「妊娠するのにいいタイミングなんてない」と言ってくれたんです。同時に、自分たちが両立できている上司たちですから、情け容赦なく「家からも仕事できるわよね?」とも言われましたけど(笑)。現実的なサポートと叱咤激励がある環境だったのは、ラッキーでしたね。

―そこから、現在の東京糸井重里事務所に転職されます。これまでとは全然違う分野ですよね。

  そうなんですよね。子どもが2人となると、いくら仕事が好きとはいえ、自分の軸足を完全に子育てに置かないと回らないんですよ。2人の子どもを育てていくことと、大企業の中間管理職として求められる仕事の量や責任をこなす状況は結構きついなと思っていました。加えて、これから先、仕事を続けていても部下が増えて責任範囲が増えるだけで、期待される仕事の質は変わらないんじゃないかって思ってしまったんです。それって私にとっては全然おもしろくないんですよ。それで困ったなって。

  困ってはいるんだけど、ほかの道が思いつかない。外資系だと次の昇格が見えてくると、海外に行く話が出てくるんですよね。でも、それは家族のことを考えると現実的ではない。そんな葛藤を抱えている時に、たまたま糸井事務所のお話にめぐり合って、チャレンジしてみたいと思ったんです。ダメかどうかは1、2年でわかるから、たとえ2年で辞めたとしても、再び外資系に転職できるだろうと目算して。

  その目算より何より、おもしろそうと思いましたし、自分が困った状態のなかで、新しい道に対して可能性を感じられたことが大きかったです。

常に仕事に求めることは「おもしろさ」

東京糸井重里事務所にて篠田真貴子さん

―篠田さんにとって、仕事とはどういうものですか?

  おもしろいことですね。具体的な事象を挙げたら嫌なことだってもちろんあります。でも、それも含めて何もないよりはおもしろい。嫌なことも、友達との会話でネタにできたりすることもあるじゃないですか(笑)。そういったことを通して、自分のことがもっとよくわかるようになったり、人や組織、世の中に対してもっと知りたくなることってたくさんあるはず。私は仕事という直接的な経験を通して自分の知的好奇心を満たしているんだと思うんです。

  もうひとつ、自分で稼げていることも仕事の大事なことだと思います。大学生の時から、経済的に自立できている人間でありたいと思っていました。経済力=幸せではないですが、少なくとも経済力があることで自由は増えます。「自由がある」と思える精神状態は、やはり幸せのひとつの要素。それがすべてではないですけどね。

―最後に、就活中の大学生、仕事に対して悩んでいる学生にメッセージをお願いします。

  社会人になると、決まったレールってないんですよ。大学生までは教育システムが定められていますし、多くの学生さんは知らない大人たちが決めた序列のなかから進路を選ぶことしかしてきていない。そこに留学とか浪人という要素が入ったとしても、結局は大きな枠組みのなかから選択しているにすぎないんですよね。

  でも、社会人はそうではない。それに気づいてからがおもしろいんですよ。大学生のうちや社会人になってすぐではイメージがなかなかつかめないと思うんです。でも、どこかのタイミングでその感覚がつかめると、おもしろくなってくるはずです。

  人によっては、大学生のうちから気づいて、実践している方もいると思います。ここからの人生はレールが敷かれてないんだということに気づくと、自分でやりたいことを見つけようというスイッチが入るので、たとえそれがすぐに見つけられなくても、自分の人生を自分でちゃんとドライブしていると思える。そういう生き方は素敵ですよね。それが学生時代とは一番違う点で、最もおもしろいことだと思います。

<株式会社ほぼ日>
〒107-0061 
東京都港区北青山2-9-5 スタジアムプレイス青山9階
東京メトロ銀座線 外苑前駅より徒歩約5分

[取材・執筆・構成]渡辺千恵 [撮影]真田明日美

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