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できなくていい。できないことがチャンスになる
―素直が一番。自分ができることに集中しよう―

株式会社Chrysmela 菊永英里
菊永 英里(きくなが  えり)
株式会社Chrysmela 代表取締役

1981年、山口県生まれ。青山学院大学卒。3歳から8歳までをロンドン、12歳から15歳までの間をオーストラリアで過ごす。日本に帰国後、あることをきっかけに16歳で起業を決意。大学卒業後の2003年、ITベンチャー企業に入社。営業のほか、役員秘書、 新規事業立ち上げに携わる。24歳より「ロック式ピアスキャッチ」の開発を開始、2006年に特許を出願。同年12月に会社を退職後、2007年7月に株式会社Chrysmela(東京営業所最寄り駅:赤坂見附)を設立。2008年、商品化を実現。発売以後、累計24万ペアを販売する。2010年に日本起業家賞開拓者賞、2014年にJ300アワード大賞など、多数受賞する。

5000年続いたピアス紛失問題に終止符! 外れにくいピアスキャッチ

クリスメラキャッチ

―株式会社Chrysmela(以下クリスメラ)の事業内容、および「ピアスロック」「クリスメラキャッチ」についてご説明をお願いします。

  ピアスキャッチ、いわゆる留め金の部分を、製造・卸売販売しています。弊社の「ピアスロック」「クリスメラキャッチ」は、板バネで挟むだけの従来のものと違ってロック式になっていて、非常に外れにくいのが大きな特徴です。

  「ピアスロック」も「クリスメラキャッチ」も性能や材質は同じですが、カラーバリエーションがあり、より高級感を持たせたのが「クリスメラキャッチ」です。

  「ピアスロック」と「クリスメラキャッチ」は、穴に軸を差し込むだけでロックされ、重さ8kgほどまで耐えられます。しかも後ろのフタの部分だけを爪でつまんで引っ張るだけでロックが解除されるので、取り外しは簡単です。

クリスメラキャッチの取り外し方法

  また、ピアスの軸は実はメーカーによって太さが違うのですが、弊社のキャッチは、スタッド型といわれるピアスのほぼすべての軸に対応しています。ほか、サージカルステンレスという医療用器具と同じ素材を使っていますので、金属アレルギーの方にも安心してお使いいただける仕様になっています。

―なくすのが怖くてお気に入りのピアスはしまったまま、という人が多いですけれど、これなら安心してピアスを楽しむことができますね。

  ピアスを持っている女性のうち86%がピアスをなくした経験があるという結果が出ています(2012年クリスメラ調べ)。
実はピアスって紀元前3000年から存在しているほど歴史の古いアクセサリーなんですが、21世紀の現在ですら、これだけの人がピアスをなくしている。5000年間、結果的にずっと放置されていた問題なんですよ。

―外れにくいピアスキャッチの開発は、画期的なことなんですね。そもそもどうして、外れないピアスキャッチをつくろうと?

  24歳の時、彼からもらったピアスをなくしてしまい、すっごく怒られたんです。思わず「私が悪いんじゃない、外れやすいキャッチが悪いんだ!」って言い返したんですが、余計怒られて(笑)。それで外れにくいピアスを探し始めたんです。

  でも本当にどこにもないので、じゃあ自分でつくってしまおうと。図面をひいて、つくってくれそうな工場を探しました。それが、クリスメラが生まれたきっかけですね。

自らリミットを定め、商品化に向けひたすら情熱を燃やした日々

クリスメラ菊永英里社長

―特許も取られているそうですが、ロック部分はとても精緻なつくりですよね。これほどのものを生産できる技術を持つ工場を見つけるのは大変だったのでは。

  当時はITベンチャーに勤めながら工場を探していました。ネットで調べてはひたすら電話でアポを取って、を繰り返していましたね。

  当時勤めていた会社の社長が紹介してくれた工場でなんとか試作品はつくることができましたが、あまりに技術のいることだったので、量産は無理と言われてしまって。量産可能な工場を探すために、200件以上問い合わせましたね。そのなかでようやく応じていただいたのが長野県岡谷市にある岡谷精密工業さんでした。

―工場を探している間に、クリスメラを創設されたそうですね。

  仕事が終わって帰るまでの間や、土日休みの日に工場を回っていました。大変でしたけど、工場も図面を描くのも大好きでしたから、楽しくて仕方がなかったですよ。半分趣味ですね(笑)。

  でもさすがに、二足のわらじのままでは続かないなと思って、2006年末に会社を退社し、次の年の7月にクリスメラを創設しました。法人化して、これであと1年以内に製品ができなかったらもう諦めて就職しようと、自分で期限を決めました。

  長野のその工場に出会えたのが2008年4月なので、期限まであと3か月。連日徹夜で図面のやり取りをしながら進めました。そうして本当に3か月後に商品化し、発売することができました。

―実際に発売されてみて手ごたえはいかがでしたか?

  もっと簡単に売れると思っていたんです。でも、実際に宝石店へ営業に行くと「わざわざお金を出してキャッチを買う人はいない」とか、「ピアスはなくすから、次が売れるんだ」とまでいう人もいて。……落としてしまうから安い物しか買えないのであって、それが市場縮小の原因でもあるのですが……なかなか理解していただけず、苦労しましたね。

―5000年も変わらなかった業界ですから、無理からぬことではありますね。認知してもらうために工夫されたことは?

  少ないかもしれないけど私のように欲しい人はいるに違いないと、いったん店舗への販売から個人に視点を移しました。そのなかのあるネットショップオーナーの方が「これは絶対おもしろい。楽天市場で1位を狙いましょう」と言ってくださったんです。

  全くなかった商品だったので、広告の反応もよく、ジュエリー部門で2回、年間ランキング1位にもなって。口コミでも広がり、どんどん売上げがのびていきました。

  お陰さまで「商品、知ってるよ」と言って下さる方も少し増えてきましたが、まだまだ認知度は低いと感じています。ピアスユーザー全員が必ず持っているものには、まだ道のりは長いですが、まずは知っていただいて、ピアスをなくしたくないと思った時の選択肢として認知していただけたらと思っています。

“普通”の人生をあきらめた少女が見出した“社長”への道

株式会社Chrysmela菊永英里さん

―16歳の時から起業願望があったそうですが、どうしてそんなに早くから社長になろうと?

  中学校3年の時に受験のため日本に帰国したんですが、塾に通うにも電車の乗り方がわからず、駅のホームで何本も見送って。挙句、乗れなくて泣いて帰ったことがありました。
  立ち尽くす私の横を慣れた様子でランドセルを背負った子たちが乗って行くのに私は乗れない。その時、初めて自分がそれまで一般常識のないダメな子だって知ったんです。今まで、一人で外に出たこともなくて、比較したこともなかったのですが、それを知ってすごくショックで。

  電車にも乗れないのに、進学して、就職して、結婚するなんて、普通の人生は望めない。じゃあ普通の人生はあきらめて、電車に乗らずに生きていけるような職業に就こう!って思ったんです。電車に乗らずに済む職業ってなんだろう?と考えたら、「あ、社長だ!」と。

―その発想に至るのが、すごいですね……!

  友だちからも「は?」みたいにポカンとされました(笑)。でもなんで私の社長になるという目標を「よく分からない突飛なアイデアだ」と思うんだろうか?と考えたら、「社長になる」という将来像のイメージや、それにたどり着くまでのプロセスが見えないから、ふわっとした、なんだか夢のようなことに見えるのかなって思って。エンジニアとかデザイナーとかになりたいと言ったときに、そんなにポカンとされないと思うんですね。

  その時、思い出したんですけど、『ドラゴンクエスト』ってTVゲームがありますよね。あれをプレイしながら、「自分はこのまま、世界を救えないかもしれない。この先に魔王なんていないかもしれない」なんて思っている人はいませんよね(笑)。それは“イベントをクリアしていけば、必ずゴールにたどり着く”という前提があるものをプレイしているからです。

  なれるかわからないものを目指すのってすごい精神的に不安定になりますけど、逆に「社長になる」というゴールさえ決めておけば、あとは「どんなイベントをクリアすればいいか。そのために何が足りないのか」を考えるだけ。だからもう、「社長になる」ことは決まってることにして、あとは何をすればいいかだけを考えよう、と思ったんです。

―すごくわかりやすいですね。起業をすると決めた時、「事業提案書」をつくっては、銀行員だったお父様に見せていたとうかがいましたが。

  起業するなら、自分がなんとなくいいかなって思うことをやるよりも、銀行員である父に納得してもらえるようなアイデアを考えるのが早道かなと思ったんです。少なくとも、私よりは多くの会社を知っていると思いますし。

  高校生だった当時、家でつながったばかりのインターネットで計画書のフォーマットを検索してプリントアウトし、それに鉛筆で書いては見せていました。最初のうちは「出来が悪すぎて頭痛がする」って言われるほどでしたけど(笑)。仕組みをつくることの重要性を教えてもらいましたね。

  そういったことを9年間くらい続けて、ようやく納得してくれた事業が、ロック式ピアスの開発と販売だったんです。

できることに集中し、苦手なことは任せる!

菊永英里さんの学生時代について

―起業を目指していた菊永さんですが、学生時代ではどのように過ごしていたのですか?

  ものすごく内気でおとなしい子だったので、社長になるなら「人前に出て、喋れる人になろう」と考えて、大学時代にバンドのボーカルをやっていました。最初は立っているだけで精一杯でしたけど(笑)。でも4年もやっていると、なんとか立つことくらいはできるようになるんですよね。

―高校生の時に内職をされていたということでしたが、アルバイトはされていましたか?

  高校生の時は母に「外に出て働くなんて危ないから」って言われていて、バイト禁止だったんですよ。でも少しずつ許してもらえるようになって大学時代には近所のコンビニとか、渋谷の家電量販店でレジ打ちのバイトとか、がんばってやりましたね。

―いずれ社長になるために、バイトでも何か意識していたことはありましたか?

  「雇用側にとって“一番使いやすい”アルバイトを目指そう」と思っていました。どうせ自分は未熟ですごいことができるわけでない。ならばできることで、店側にとって“使いやすい”バイトになろうと。クリスマスシーズンとか年末年始のような繁忙期には、特に積極的にシフトに入るようにしましたね。

  そうするとお店の人にとてもかわいがってもらえて、今一番の売れ筋とか商品の置き方など、いろいろ教えてもらえました。その情報をもとに接客したり。でもアルバイトの自分には販売ノルマとかないので、教えてくれた方の成績になるようにして。上の人にとって自分はどういうバイトであれば喜ばれるのかと、常に考えていましたね。

―新卒ではITベンチャーに入社されますが、就職活動はどのようなことを意識されていましたか?

  25歳に起業しようと決めていたので、あと3年の間にできるだけ早く、起業の知識を得られる会社を探しました。結果、3社受けて、1番最初に内定をいただいたITベンチャーに入りました。

―そこではどんなお仕事をされていましたか?

  社長たる者、最初は「社長になるには営業力が必要だ」と思って営業部に入ったんですが、どうしても人前で話すのが苦手で。誰よりも早く出社して、誰よりも遅く帰ってと1か月半がんばったのですが、どうも結果が出ない。そして、このまま3年間これを続けても、独立できる気もしない。「うん、起業したら営業は雇うことにしよう!」と決めました(笑)。

―切り替え早いですね(笑)。

  苦手なことは、得意な人に任せるのが一番ですからね(笑)。じゃあせめて経営者のそばで「ものの考え方」を学びたいと、役員秘書を志願しました。

  でも空きがなかったので、自分の直属の上司である部長にくっついて、半ば強引にスケジュールの管理や資料のファイリングを始めました。上司はすっごく優秀な人でしたが、ダブルブッキングが日常茶飯事にあったりして、管理面が苦手。だから「私が秘書になれば、役員になりますよ」って言って、無理矢理に(笑)。でもその間に秘書検定もちゃんと取ったりしてました。

  部長は最初、困っていましたが、最後にはとうとう折れて正式に秘書にしてくれました。そして半年後には、本当にその方は役員になったんです

―それはすごいですね!そういった秘書の経験から、今につながっていることといえば?

  私は「起業したい」ということを前もって伝えていたので、いわゆるスケジュール管理や名刺などの整理など秘書の仕事だけでなく、資料作りや事業計画についても積極的に絡ませていただけました。秘書をやめた後は新規事業の立ち上げにも関わらせていただきましたし、経営についてたくさん学ばせていただきましたね。若い会社だったので、多少のわがままも(笑)聞いてくれる、非常にありがたい環境でした。

自分ができない人間だからこそ、見えたものがある

菊永英里さんからメッセージ

―菊永さんは赤坂の、託児スペースのあるコワーキングスペースで仕事をされていますね。菊永さんのように、仕事も家庭もがんばりたいと考えている女性にアドバイスをするとしたら?

  そうですね。そもそも起業を目指したのも、女性が仕事をするうえでいろいろやりやすいんじゃないかって考えたのもあるんです。でも、だからといって決して女性全員に起業を薦めたいとは思っていません。きちんと保障が整備された大企業の会社員勤めしてる友人をすごくいいなって思っていますし。

  一番は、自分が何にストレスを感じるのかをよく理解すること。人間って、快感じゃないと結局続かないんですよ。じゃ、自分は何を快感と思っているのかを理解すること。起業して自由なのがいい人もいれば、組織の中で力を発揮する人もいる。自分のタイプを理解することが大切です。

―今は働き方が多様化し、様々な選択肢を持てるようになりましたよね。それについて菊永さんが思うことはありますか?

  昔は『ドラクエ』と同じで、最終的なゴールを決めればそこに向かって進めていくことができました。「この会社に入ればルートは大体こんな感じ」と先輩を見てもわかるし、その分イメージも湧きやすかったと思うんです。終身雇用制度もあって、キャリアの道筋が見えやすかったんですよね。

  でも最近のキャリアモデルは目の前の一戦一戦に重きを置く『パズドラ』(『パズル&ドラゴンズ』/大ヒットしたスマートフォン向けアプリゲーム)型ですね。スピードも速いし、プロジェクトが短期化していて長期的なキャリアを考えづらいのが、今の時代かもしれません。

  すごい昔は、1週間とか手紙を待つことができたじゃないですか。でも、今はチャットの往復で早くて短い会話のやり取りに変化している、人間の思考や行動パターンが短いことに慣れてしまっていると思うんです。

  今後は会社や仕事を選ぶときも「目の前の一戦に向き合って、ちゃんと楽しめるかどうか」が鍵になると思います。

―それでは、最後に若い人へメッセージをお願いします。

  私は、自分自身を優秀じゃないと思っています。それを知って悲観したことはなく、自分が優秀じゃないと気づけてよかったと思っているんです。自分よりできる人にいっぱい教えてもらえばいいし、できる人にお願いしてしまえばいい。

  コピー取りでもお茶くみでもどんなことでも、誰よりも美しいコピーをとってやる!!と思ってやっていましたけど、そんな些細なことでも見てる人は見てるし、きちんと評価につながってきます

  評価自体を期待するとそれほどは評価されないので気持ちも続かないのですが、コピーを取る時には、待ち時間にその紙に書いてあることを理解しようとしたり、その紙がどういう会議で誰に向けてのものなのかを考えたり。ふと振り返るとそのうち何かが蓄積されていて「あ、自分はこういうことに向いてるんだな」って気づく時が来るはずです。

  最初にあまり急いで答えを見つけようとしないこと。目の前にある自分ができることに、集中して、できれば楽しんでいけたらいいのかなと思っています。

株式会社Chrysmela菊永英里代表 <株式会社Chrysmela>
東京所在地(「Hatch Cowork」)
〒107-0052 東京都港区赤坂4-9-25新東洋赤坂ビル5階
東京メトロ丸ノ内線 赤坂見附駅より徒歩約6分

岡山オフィス
〒701-0114 岡山県倉敷市松島48

[取材・執筆・構成・撮影]真田明日美

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