あのポップコーンが忘れられない!
―自分探しの末に出会った運命の味―
- 藤原 里奈(ふじわら りな)
- 株式会社長崎の路地裏cafe 代表取締役社長
1986年長崎県生まれ。学生時代を福岡で過ごし、2006年KBC九州朝日放送 旅番組『るり色の砂時計』にて2年半レポーターを務める。その後、海外の旅の途中に出会ったポップコーンの魅力に惹かれ、独学で研究を始める。半年ちょっとで39種類の商品を開発し、2014年3月には自身の地元長崎県にて、株式会社長崎の路地裏cafeを創業。『長崎カステラ味』『佐世保バーガー味』など、地元長崎ならではの素材を使ったオリジナルポップコーンが好評を博している。2017年、新ブランド『jpcorn』を展開。全国に本当に美味しいポップコーンを広めるべく、日夜奮闘中。 <株式会社長崎の路地裏cafe> 創業/2014年3月 本社所在地/〒850-0851 長崎県長崎市古川町5-15 最寄り駅/賑橋 ※本文内の対象者の役職はすべて取材当初のものとなります。(2017年4月10日update)
人と関わる仕事に楽しさを見出した――高校時代
―小学生のころから劇団に入っていた藤原さんですが、学生時代から芸能の仕事をしていたのですか?
いいえ、高校卒業するまで10年くらいはずっと下積みでした。発声練習などのレッスンを受ける時間がほとんどでしたね。
そのため、高校の時はアルバイトも積極的にしていました。人が好きだったので、接客業は向いているだろうと思い、高校1年から2年まではファミリーレストランでアルバイトをしました。
そして、高校3年生になってからは、有線放送の契約を取る営業の仕事を始めたのです。個人様へ、有線放送の説明をして契約を勧める毎日でしたね。
当時は周りの友人が誰もやっていない仕事だったのですが、若いうちからいろいろな仕事を経験するのはプラスになるだろうと思って選びました。
最初のうちはお客様と会話をするだけで緊張してしまい、なかなか成績が上がらず苦労をしました。しかし、先輩のいいところを真似していくと、成績がかなり上がってきました。高校卒業後もそのまま働いていたので、自分には合っていたように思います。
―そのまま正社員になることは考えなかったのですか?
そうですね、卒業後はさらに働けるようにはなったのですが、やはりテレビの仕事をしたいという夢を捨てることができなかったので、高校を卒業したころからテレビ出演やモデルのオーディションをたくさん受けるようになりました。
特にジャンルにはこだわっていなかったのですが、なかなか合格することができず、オーディション経験だけが積み重なっていきました。オーディションの当日に渡された台本を本番までの数時間で覚えなければいけないのに、全く覚えることができず、結局1文字も覚えることができないまま本番に挑んだ……なんて失敗エピソードはたくさんありますね(笑)。
そうしてやっと受かったのが、KBC九州朝日放送で放送されていた『るり色の砂時計』という旅番組でのレポーターでした。
今に繋がる原点となった仕事――旅番組『るり色の砂時計』
―『るり色の砂時計』ではどのような仕事をしたのですか?
『るり色の砂時計』では、2年半旅番組のレポーターを務めました。九州一帯と山口県で放送していた番組だったので、番組でも九州の様々な場所を訪れていました。
有名な観光地にはあまり行かず、地元の人しか知らないような穴場スポットを紹介することが多かったですね。夜中の午前3時に出発をしたり、移動が多かったりと大変なこともありましたが、ずっとやりたかった憧れの仕事だったので苦に感じることはありませんでした。
むしろ、この番組での出会いが今の私を作ったと言えるので、感謝しているくらいです。
―それは、どんな出会いなのですか?
観光地らしいところへ行くことがなかったため、その土地で暮らしている地元の人と交流をする機会がたくさんありました。
特に自然が豊かな田舎へ行くことが多かったのですが、そのなかで出会ったのが、都会での暮らしを捨てて田舎へ引っ越し木工房を営んでいる方や野菜や果物を栽培して生活をしているという方々でした。
今まであまり出会う機会がなかったので、物を作りながら生活をするという生き方がとても新鮮だったことを覚えています。「何かを自分の手で生み出す仕事ってすごくステキだなあ……」と、考えるようになったのです。
「私も何か自分にしか作れないオリジナルな物を作って世の中に広める仕事をしてみたい。」と、何となく思うようになりました。
ヨーロッパ、アジア、そして東京――果てなき自分探しの旅
―その後、海外へ行かれたそうですが、それはどうしてですか?
漠然と「何か物をつくる仕事がしたい」という想いはあったのですが、具体的なアイディアは全くひらめかなかったのです。
そこで、まずは私が何を作りたいのか、何をしたいのかを探すことから始めないとダメだと思い、自分を見つめなおすという意味で「自分探しの旅」をすることにしました。
そこで、ベトナムや韓国などのアジア諸国をはじめ、ヨーロッパ等も旅して回りました。
そして、何といっても一番印象に強く残ったのが、海外ならではの色とりどりのポップコーンです。日本では見たこともないカラフルな色をしており、それだけで私の心を惹きつけました。
すぐに「これを作りたい!」と思ったわけではなかったのですが、「何てカラフルでステキなポップコーンなんだろう!」と、強烈なインパクトがありましたね。そして、残念なことにまずかったので、美味しかったらよかったのにとも思っていました。
そうしていくつかの国を旅して帰国をしましたが、結局「自分が作りたい物は何なのか」という根幹の部分については決めきれずにいました。
そのため、日本でも自分探しを継続しようと思い、バック1つを持って東京へ上京しました。
―東京を選ばれたのはどうしてですか?
日本の中心部といったらやはり東京だと思いましたし、人が多いので何か影響を受けるかも知れないと考えたのです。
しかし、海外を旅した直後ということもあり、お金が全くない状態で家を借りることはできませんでした。
そのため、素泊まりの1日2,000円の安宿を拠点として、バックパッカーのような生活を始めたのです。当時の私は「畳1畳あれば暮らしていける」と豪語するほどバイタリティーに溢れていましたね(笑)。
しかし、当時はまだポップコーンを作るという考えにまで行き着いておらず、お金もなかったので「まずは仕事をしながら考えよう」と思いました。
以前にバーで仕事をしていた経験もあったので、それを活かして東京の六本木にあるバーで働き始めました。
「このままバーで修業をして自分の店を持つのはどうだろう」「アロママッサージの店舗を開業するのもいいな……」と、興味を持ったことは何でも挑戦しました。
自分でも「ものづくり」でピンとくるものが思い浮かばず、上京後の1~2年は迷いに迷っていた時期でもあったのです。
ポップコーンで勝負しようと決めた理由
―ポップコーンを作ろうと決意したのはいつごろなのですか?
2010年ごろです。いろいろと模索をしたのですが、やはり「ものづくりをしたい」「自分で作った商品を世に広めていきたい」という想いが消えることがありませんでした。
「何かないだろうか?」と考える時、常に頭の片隅に残っていたのが、海外で見たカラフルなポップコーンだったのです。
そんなある日、「そもそも、どうして日本にはカラフルなポップコーンがないのだろうか?」と小さな疑問が生まれ、それからポップコーンについて調べ始めました。
当時も様々な味のポップコーンは販売していましたが、まだまだ数は少ない状態でした。さらに、販売している商品は安価で販売されている物が多く、いい材料を使った高級なポップコーンに至っては全くなかったのです。
そして、ポップコーンの栄養素についても調べてみると、抗酸化作用があり、食物繊維が豊富、カロリーも低くダイエットの空腹時を満たすのにピッタリな食べ物だということも分かりました。
「こんなに素晴らしい食べ物なのに、どうしてこんなに商品が少ないの!?」と、調べれば調べるほど、ポップコーンの魅力に惹かれていきました。
―自宅でポップコーンの研究をしていたという話は本当ですか?
本当です。約半年ちょっと、仕事以外の空いた時間は全てポップコーンの研究をしていましたね。正直、朝から寝るまでポップコーンのことを考えていました。その結果、短期間で39種類もの味を作ることができました。
そもそも、最初はポップコーンの作り方すら知らなかったので、ポップコーンがどうやってできるのかも学ぶ必要がありました。
アイスクリームやパンケーキ等はレシピ本がたくさんありますが、ポップコーンの作り方を書いた書籍はどこにもなかったので、自分で材料を買い、何度も自分で試してみました。
世間一般によくあるポップコーンではない新しいポップコーンを作るために試行錯誤をした結果、フレーバーがポイントになることが分かったのです。
―フレーバー作りはどのくらいの期間を要したのですか?
半年以上ですね、商品開発で最も苦労したのはフレーバーとポップコーンのバランスだったので、ここは一切妥協しませんでした。
弊社のポップコーンは「おつまみ系」と「甘い系」の2種類があるのですが、粉末を塗して作る「おつまみ系」とは違い、「甘い系」はポップコーンに蜜状のフレーバーを絡めて作ります。
しかし、肝心のフレーバーが理想の固さに固まらず、ポップコーンとうまく絡まなかったのです。
蜜を絡めた状態でも常にカリッとした食感を残したポップコーンを作りたかったのですが、何度挑戦しても理想のポップコーンに近づけることができませんでした。
困り果ててパティシエの方にも相談をしたのですが、「それは私達の世界ではないですね、化学の世界の話だと思います」と言われてしまいました。
パティシエの方からは、バターは最後に絡めると風味が増して美味しい、この材料を組み合わせると味に深みが出る……など、味については様々なアドバイスをいただいたのですが、何度の環境で蜜を作り、どのタイミングでポップコーンと絡めたらカリっとした食感が続くのかといった部分は得意分野ではありませんでした。
「科学の世界」と言われたので、今度は高校時代の恩師に連絡を取りました。高校3年生の時の担任が科学教師だったのですが、卒業する時、生徒全員にメールアドレスを渡し「困った時は連絡をしなさい」と言って下さったことを思い出したのです。
決して複雑な知識が必要だったわけではありませんでしたが、配合時の注意点や重視すべきことなど、食感を残した状態のポップコーンを作るためにキモとなるアドバイスを多数いただき、ようやく追い求めたポップコーンの味が完成しました。
こんなにもポップコーンの味と食感について研究した人は恐らくいないのではないでしょうか(笑)。
催事でファンを増やした販売手法
―最初はどのような形態で販売を始めたのですか?
まず、長崎空港や、結婚式の引出物での取り扱いの営業や、百貨店での催事をしました。
これをきっかけに、JRななつ星クルーズトレインでの取り扱いが決まったりと、いろいろな場所からお声掛けをいただくようになり、全国の催事場を回って販売をしていました。
ほかにも卸しで店舗内にスペースを作って置いていただいています。オファーも多数いただいてはいるのですが、全て手作りのため、現状は全てのオファーを受けることができず心苦しい状況です。
現在の製法を維持しつつ、少しでも製造効率を上げることが今後の課題ですね。
ポップコーンの歴史を見つめ伝えるために――カフェとポップコーン製造販売が一緒になったお店を開店した背景とは
―2014年5月に、地元の長崎で「長崎の路地裏cafe」を開店させたのはなぜですか?
「どうせやるなら東京じゃなく長崎でも始めればいいのに」と言う、父親からの一言が1つのきっかけとなりました。10年程会っていなかった父親との再会も大きなきっかけでした。
そして、もう1つのきっかけは、長崎に刻まれた歴史が大きく関係しています。
弊社の商品は、海外のポップコーンをヒントに作られています。そして、ポップコーンの原材料であるコーンは、江戸時代に長崎の出島を通して伝来したと伝えられています。
カステラやシュガーロードのように、数多くの西洋文化が伝わったものの1つにも関わらず、その認識があまりにも薄いように感じていました。
ポップコーンというと、どうしてもアメリカのイメージが強いのですが、歴史を辿るとヨーロッパからのルーツも持ち合わせているので、ヨーロッパの文化が色濃く残っている長崎という街とポップコーンをリンクさせたらすごく合うのではないかと考えたのです。
「ポップコーンは、ヨーロッパから伝わったお洒落な食べ物の1つでもある」という認識を広げ、もっとポップコーン自体の味を楽しんで欲しいですし、何よりポップコーンの素晴らしさを伝えていくためにも、長崎と言う場所にこだわりました。
そして、長崎ならではの味も浸透させていきたいので『カステラ味』や『ちゃんぽん味』島原の無農薬の薬草を使った『薬膳ポップコーン』など、ほかにはない味の開発にも積極的に挑戦しました。
パッケージも、長崎の異国情緒溢れる文化(和)(華)(蘭)を表現した三種類のパッケージにしました。
現在これらのポップコーンは、JRななつ星クルーズトレイン、ハワイ島のドトールコーヒー農園(ドトール・マウカメドウズ)、長崎空港などでも取り扱っています。ほかにも結婚式の引出物などでのご利用が増えてきています。
―ポップコーンを扱う店舗が増えていますが、今後目指す方向を教えてください。
私がポップコーンの販売を始めた当時は、ほかにポップコーン屋なんて全くありませんでしたし、ポップコーンなんて全く流行っていませんでした。
だからこそ、今の現象は全くの想定外で、嬉しい反面、驚きも大きいです。いろいろな店を通じて全体としてポップコーン業界を盛り上げていけたらと思います。
また、弊社のポップコーンは結婚式の引菓子や手土産などにお買い求めいただく方が多いですし、デザインや味は全て日本で開発しています。
コンセプトやターゲット層、デザインや味の展開に至るまで、他店とは全く異なっているので、お互いにうまく住み分けができていると思います。
現在(2017年4月)は新しいブランド『jpcorn(ジェーピーコーン)』も立ち上げましたので、ぜひお求めいただけたらと思います。
今後も、1人でも多くのお客様が手に取っていただけるようにすることが目標です。また、これからも季節限定商品を始めフレーバーの種類を増やしていきたいです。
商品が好きな方、魅力を伝えていきたい方はぜひ一緒に仕事をしたいので、そういった人財は積極的に採用していきたいですね。
[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗
[再構成]真田明日美