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チケットの二次流通を選択肢とするために
―チケットストリートの新たな試み―

チケットストリート株式会社 西山圭
西山 圭
チケットストリート株式会社 代表取締役会長

1974年生まれ神奈川県出身、1994年慶應義塾大学商学部へ入学し、在学中にインターネットビジネスの学生ベンチャーに取締役として参画。1998年サン・マイクロシステムズ株式会社へ入社。2003年アサップネットワーク株式会社へ入社し取締役に就任、2005年より同社代表取締役に就任。2011年チケットストリート株式会社を設立し代表取締役会長に就任、現在に至る。

チケットの個人間取引仲介サイト―チケットストリートとは

チケットストリートのサービスについて

―チケットストリートのシステムを簡単に教えて下さい―

チケットストリートは、「ライブ・エンターテイメントの感動を全ての人に」というコンセプトの元、個人間でのチケット取引の仲介を行うサービスです。「音楽」「演劇」「スポーツ」「イベント」等の各種ライブエンターテイメントのチケットを個人間で取引するために、安全に取引ができるようチケットの発送や支払いをサポートしています。

弊社サービスの大きな特徴は、「チケットを売りたい人」や「チケットを買いたい人」に対する注文、支払い、出品、売却方法が複数あることです。「通常コース」「通常コース+安心プラスコース」「在庫保証コース」「在庫保証コース+安心プラスコース」「直接売買」の全部で5つのコースを用意しています。最も取引率が多く人気なコースは「在庫保証サービス」です。掲載日が通常コースより2日長いこと、そして通常コースで組み込まれている在庫確認を一切行わないこと、こちらの2点が特徴です。つまり、チケットの掲載をしている間は常に在庫があるという事が確定しているチケットです。手順が少ないことで、通常コースよりも早く取引が進むことが人気を呼んでいるサービスです。一方「通常コース」では、欲しいチケットを見つけたら、まずは注文し出品者へ在庫の確認をします。在庫があった場合はチケットストリートから買い手へ入金依頼メールを送りますので、内容に従ってチケットストリートへ入金を行います。入金の確認ができたら出品者へ発送依頼メールを送り、出品者から買い手へ商品が発送されます。後は買い手がチケットを受け取り、受け取り処理をすることで出品者にチケットストリートからチケット代金が入金される仕組みです。基本的に出品者と買い手側の取引にはチケットストリートが仲介をしています。最も人気が高いのは「在庫保証コース」に、発送の代行や公演中止の際に代金を全額補償する「安心プラス」を追加したサービスになります。発送時に必要となる買い手側の個人情報を売り手へ開示する必要もなく、安心してチケットを購入することができることで評判です。チケットの二次流通市場拡大のために尽力しています。

学生起業家として奮闘した大学時代

―高校生の頃はアルバイトをしていましたか?―

高校生の頃は横浜スタジアムでコーラ売りのアルバイトをしていました。この仕事はいわゆる歩合制で給料が決まるのが一般的で、僕が働いていた当時は1本につき16円が自分の取り分でした。もちろん基本給はあるので、1日に200杯売れると基本給+3,200円になります。高校生にしたら給料がいい仕事でしたね。自分の売上が給料に直結したこともあり、「どうしたらもっと売れるのか」と考えながら仕事をする事が当たり前でしたね。10代の頃からそうした金銭感覚を身に着けることができたことは、少なからず今に活きている部分があると思います。

―大学生の頃はどのような学生でしたか?―

大学へ入学した当時は家庭教師居酒屋など、大学生がよくやるアルバイトも経験しました。その他シーズン毎に百貨店で開催されるセールやバーゲンの会場設営など短期間の肉体労働の仕事を経験したこともあります。しかし、僕らが学生の頃はちょうど「学生起業家」と呼ばれる学生が世間に出始めた頃でした。その筆頭が、当時東大に在籍していた孫泰蔵さんや堀江貴文さんです。当時の堀江さんは、オン・ザ・エッヂ(ライブドアの前身)を創立し、小室哲哉さんのホームページ作成を任されたこともあって、一気に知名度を上げましたね。大学2年生になると自分も起業に興味を持つようになりました。

―学生の時はどのような事業を立ち上げたのですか?―

最も大きな仕事は、仲間と一緒に立ち上げた広島県の飲食店と協力しお酒を飲みながら気軽にPCやインターネットの指導を行うサービスを提供する店舗を開店させました。「会社で部下に指導してもらうのは嫌でも可愛い女の子だったら話は別だ」という男性諸君は非常に多いのではないかと思い、指導役には女性を選びました。しかし、時代が早すぎたのか、1年持たずに閉店となってしまいました。一から自分で立ち上げた事業としては、当時さほど普及していなかったインターネットを使ったネットアイドルのプロデュースや、ホームページ制作の請負などです。

基本的にはウェブを中心としたサービスを考えていたものの、当時は社会経験を積んでいない学生だったこともあり、継続的に利益を生み出すことのできるサービスを立ち上げる力がまだ自分にはなく、どの事業も長期的に継続をすることが難しいのが現状でした。企業が経営を続けるためには、柱となる事業を確立させることが必須だったものの、そこまで頭が回らなかったというのが本音です。その結果、200万円の借金を作ることになってしまいました。「これではダメだ…もっと社会のことを知らないといけない!」と思い、大学4年時に就職活動を始めました。

サン・マイクロシステムズ時代

真剣な表情で写る西山圭会長

―新卒で入社をしたサン・マイクロシステムズではどのような仕事をしていたのですか?―

所属したのは営業部でした。当時のサン・マイクロシステムズは直営がなかったので、パートナー営業の担当として代理店や販売会社と一緒に仕事をしていました。商社や電機メーカーといった大手企業の基幹システムの構築を数億円で取引することもあれば、地方の中小企業と仕事をすることもあり、とにかく幅広く担当していました。特にインフラや基幹システムの構築を手掛ける機会が多く、各企業の課題や問題点へのコンサルテイングについても求められました。

システムを手掛ける機会が多かったので、システムの勉強は入社後から本格的に始めました。入社前の学生時代も一定の知識は持っていましたが、「パソコンに詳しい」というレベルに留まっていました。それと比べると、やはり企業向けのシステムを組むのは勝手が違いましたから、最初の頃は仕事をしながら必死に勉強する毎日でした。しかし、実際にシステム作りに関わることができたおかげで、利用者サイドの部分と企業サイドの部分を両方勉強することができました。一からシステム作りを学ぶ環境があったことで、現在のチケットストリートでも常に利用者となるユーザー視点と企業サイドの視点どちらも考えて作ることができているのだと思います。

―そこからなぜベンチャーの世界へ戻られたのですか?―

自分としては戻る気は全くなかったんです。IT系企業のサラリーマンとしてこのままキャリアを作るつもりでした。しかし、当時ITバブルがはじけて、勤めていた会社の経営状態が次第に悪化していったのです。1998年に入社し、その後2000年までの3年間は大変好調でした。ほぼ一人勝ちといった状態で、米国親会社のSun Microsystemsの株価は約20倍にまで上がったのです。とにかく勢いがありました。しかし、その後ITバブルがはじけて2001年から2003年の3年間で、株価は一気に何十分の一という数値にまで落ち込んだのです。当時他の競合他社もかなり苦戦しており株価を下げてはいましたが、ここまで大幅な下落をした企業はありませんでした。売上でもサービスでもIBMやHPといった競合相手に何一つ勝てず、ソフトでもLinuxに負けてしまう、という日々が続いたのです。

日本支社でも人員削減のために希望退職者を募り、2002年に入社をした自分より4つ下の新入社員達までも対象でした。その年は4月に200人新入社員を採用し、同年9月にはその内の半分を解雇したのです。平社員だった自分でも「こんなこと会社としておかしいだろう」と思うほどでした。しかし、退職金として300万円を提示されると本人達は喜んで辞めていきましたね。半年勤めて給料1年分を事前に貰いさらに退職金300万円が全て入ってくるということで、このお金でMBAを取りに行ったり、ケーキ屋を開業したり…と、様々な道へ進んでいきました。

そんな会社の様子を見る内に「もっと成長が見込める他のIT企業へ転職した方がいいのではないか…?」と思うようになり転職を決意しました。しかし、最初はベンチャーではなく、すでに安定した事業展開をしているIT企業へ転職をするつもりでしたね。ベンチャー企業を始めるきっかけは、弟でした。実は2000年当時大学生だった弟が、学生起業家としてモバイル会社のアサップネットワークを立ち上げていたのです。自分がIT企業に勤めていたこともあり、モバイルのサービス作りにも興味がありましたので、週末起業のような形ではありましたが、よく弟の手伝いをしていました。退職をした当時はモバイル系、中でもiモードのサービスが特に伸びていましたし、今後も成長していくだろうという見込みもありました。他の転職先を考えたこともありましたが、「西山だったらいつでも採ってやるよ」と言って下さる方が多く、外資系で5年間培った人脈も自信に繋がっていました。「もし失敗に終わっても誰か声をかけてくれるだろう…一度モバイルの事業を真剣に取り組んでみよう!」と、再びベンチャー企業で事業をする決意を固めたのです。そして、5年間お世話になったサン・マイクロシステムズを退職し、アサップネットワークの仕事を本業にしました。

アサップネットワーク時代

―アサップネットワークではどのような事業を行っていたのですか?―

最初に作っていたのは占いコンテンツです。その後、現D2C Rの本間さんを始め、多くの知人から「モバイルの広告は収益性が非常に高い」という話が聞こえるようになり、検索エンジンやランキングサイトでモバイル広告の販売も始めたのです。検索エンジンやランキングサイトは当時ユーザーが頻繁に使うコンテンツでもありましたので、一度作ってしまえばアクセスを集めることは決して難しいことではなかったのです。そのため、アクセスが集まる可能性の高いものは何でも作りました。利用者やアクセス数の伸びに比例するように広告の収益も右肩上がりに伸びていきました。その後は企業向けのモバイルソリューションを始めようと思ったのですが、思うようには進まず、途中から公式サイトの制作に舵を切り、多くの公式コンテンツを立ち上げました。

-アサップネットワークのモバイル広告と言えば、記憶にあるのはWAPNAVIですが―

WAPNAVIは、現モブキャスト取締役の佐藤さんが立ち上げたサービスですが、当時は弊社グループ企業であるD.O.Mの松尾が当時勤めていたシンクウェア社で運営していました。当時の松尾はメデイア事業に関わっていまして、WAPNAVIというポータルは、KDDIのオープンサイトとしてEZwebのメニューに掲載されていましたが、利用者は伸び悩んでいました。当時のモバイル検索市場では、公式検索サイトへの仲間入りを果たすのは簡単なことではありません。僕らとしては、このライセンスが欲しかったので、「運営を任せてもらえないだろうか?」と、相談をしてサイトごと譲っていただきました。

その後、WAPNAVIを使ったモバイルSEO事業に着目し市場調査を行ったところ、当時はブレードコミュニケーションズという会社が、似たサービスの提供を開始していましたが、モバイルSEOの秘めた可能性に大多数の企業は気づいていなかったのです。「これはとんでもないブルーオーシャンなんじゃないか?」と思うようになり、WAAPNAVIで実装することにしました。その読みは見事に当たり、事業開始から約2年間は競合するサービスもなかったので、ほぼ一人勝ちに近い状態でした。当時この分野における売上シェアの半分以上が弊社だったと思います。おかげで公式コンテンツの利用者も急激に増えましたし、モバイルSEO事業では十分な利益を出していました。しかし、フィーチャーフォン上の公式検索は、永続性に欠けるコンテンツだと思っていたため、WAPNAVIの運営もSEO事業も長く続く事業ではないだろうと考えていました。そのため、しっかりと永続的に利益が見込める公式コンテンツをこの間に作って軌道に乗せようという想いは強く持っていました。従事している社員数で比べても、公式コンテンツビジネスの方が圧倒的に多く、30サイト前後は運用していましたので。「大きく展開するより利益重視」というのが、当時のWAPNAVIとSEO事業についての方針でしたね。

チケットストリート創業

チケットストリートのオフィスを大公開

―その後チケットストリートを立ち上げたのは、やはりフィーチャーフォンからスマートフォンへの転換がきっかけですか?―

もちろんそれもあります。2010年頃になるとモバイルSEOはすっかりレッドオーシャン化していまして、シェアもかなり低下し競合サイトも増えていました。以前ほどの旨味はすでになかったのです。

代わりに伸びていたコンテンツとしては、「まちつく」や「怪盗ロワイヤル」といった大手SNS上で展開されたソーシャルゲームです。これらのゲームはフィーチャーフォン専用のゲームであり、大手SNSのプラットフォームがオープン化されたことで、多くの利用者を集めていました。特に、「まちつく」がオープンした日(mixiアプリモバイルのオープン日)の事は今でもはっきりと覚えています。2009年11月、当時ウノウの山田さん(現在メルカリ代表取締役)から夜中の1時頃突然スカイプで連絡が入ったのです。「このサイトを見てみて!」と書かれていたそのページが「まちつく」のトップページでした。しかし、まだオープンして1時間しか経っていないのに、すでに3万人のユーザーが登録していたのです!そして、リロードする度に約300人ずつどんどん増えていたので、これには度肝を抜かれましたね。

当時は弊社の公式コンテンツもまだ順調に成長していましたが、mobageやGREEなどに投入したソーシャルゲームはうまくいきませんでした。しかし、近い将来フィーチャーフォンに代わってスマートフォンのユーザーは確実に増えることが容易に想像できました。そうなった場合、順位にすると中堅どころにあたるサイトが多かった弊社の公式コンテンツでは生き残ることができませんし、将来の売上が維持できませんので、3年後5年後を考えれば早急に新しい事業を始める必要があったのです。

―そこで考えたサービスがチケットの二次流通だったのは何故でしょう?―

ネットビジネスで収益を出すには「課金」「広告」「EC」の三択しかないと考えています。フィーチャーフォン時代の公式サイトでの課金モデルは、スマートフォン市場へと切り替わってしまえば市場規模は維持できないですし、広告も競争が激しいので利益を出すのは難しい。つまり、ECしか残されていなかったのです。しかし、ECと言っても楽天市場やZOZOTOWNといった大手サイトと正面から勝負をするのはかなり難しいことです。そういったサイトと正面から勝負をするためには、販売する商材選びが重要になります。「どんなものなら対抗できるのだろうか…」と、半年近く毎日のように考えていました。そんな時に偶然出会ったのが、「チケットストリート」だったのです。当時、取引先の企業で運営されていた「チケットストリート」は、コンサートや舞台、スポーツのチケットを取り扱う二次流通サイトとして細々と運営されていましたが、「これはビジネスになりそうだな…」と、興味を持っていたのです。

そんな時に起こったのが、2011年3月に起きた東日本大震災でした。震災がきっかけとなり、当時チケットストリートを運用していた企業から譲渡のお話をいただきました。しかし、「このビジネスは、コンテンツ企業のアサップネットワークとは違う社風、文化が必要だ。また、成長させて行くには外部の資本や提携を増やしていき、株式上場も見据えていかなければいけない」と考え、アサップネットワークとは完全に切り離し、新たな挑戦としてチケットストリートを創業しました。

チケットストリートのサービス開始にあたり、最も意識したのは、他のオークションサイトやチケット売買サイトとの差別化です。従来型のCtoCサービスにおいて取引時に多くの人が感じた不安材料は直ぐに解消する必要がありましたし、ユーザーからの問い合わせはやはり多いので、サポート体制の強化が求められていました。現在は10名体制でコールセンターを作り、サービスの疑問に答えるだけでなく、我々が考えているビジネスモデルやサービスをユーザーの方に正しく理解してもらう活動にも力を入れています。現在のチケットストリートは、月間流通額で1億円程度まで成長しましたが、手数料商売ということもあり、利益で考えるとさほど大きな金額にまでは成長していないのが現状です。

チケット売買を当たり前の選択肢とする―今後のチケットストリート

今後の展望を語る西山会長の横顔

――現在目指しているのは、チケット二次流通市場の拡大だと伺いましたが―

よく競合サービスにヤフオクや他のチケットマーケットを挙げる方がいますが、実はそこからお客さんを取り込むことは考えていません。弊社が目指しているのは、チケットの二次流通そのものを世間に広め、主催者以外からチケットを購入するという選択肢を作ることなのです。そもそも、日本国内でライブ・エンターテイメントに足を運ぶ人は年間で約2,700万人と言われていますが、この内正規の一次流通以外でチケットを購入する人は200万人程度にとどまっているのが現実です。全体の10%にも満たない数しかユーザーのいない大変小さな市場なのです。

今のユーザーに多いのは、手に入らなかったチケットは諦める、今すぐ購入はできるけど定価は高いので手が出ない、いくらでも払うけれど売り切れているから買えない…等、買い手のニーズを満たすサービスが存在していないだけで、チケット売買自体には様々なニーズがあると考えています。アメリカを例に挙げると、二次流通の割合は35%前後の規模があり、一時流通1.6兆円に対して二次流通だけでも約6,000億円のマーケットになっています。実際に購入したチケットがユーザー間で自由に流動するからこそ、正規のルートでチケットを購入する人も増えるという背景がありますので、日本もこうした社会を目指していきたいですね。

例えば、3日後に迫った休日、特に予定が入っていなかったとしましょう。そんな時、何気なくチケットストリートを見たら有名アーテイストのコンサートチケットが販売されていた。定価の値段を払い正規でチケットを購入して見るほどファンなわけではないけれど、開催日が迫っていることもありチケットの値段は定価以下にまで下がっていた。「この値段なら…行ってみようかな…」という風に、ふらっとライブ・エンターテイメントに行くことができる社会にしたいと思っています。そのため、やみくもに数字目標を立てるのではなく、こうして二次流通が当たり前となる社会を作りたいと思っています。

―NBLと正式に提携を行ったとか?―

はい、2014年2月にNBL(日本バスケットボールリーグ)と提携をしました。つまり、主催者側から正式にチケットストリートでの二次流通の許諾を得たのです。アメリカでは、eBayグループの StubHub.com という会社がMLBなどの主催者と提携し、主催者公認での二次流通を幅広く展開しています。一方、日本では同様のサービスはこれまでありませんでした。この提携によって、2014年5月に開催されたNBLのプレーオフに関するチケットは、日時や座席を問わずどのチケットでも売買が可能になったのです。さらに、値段に関しても定価はもちろん、定価以上でも定価以下でも自由な取引が可能になりました。これはとても大きな転換点だと考えています。

これまで日本の興行で主催者が二次流通を認めたケースはありませんでした。また、流通するチケットの価格について、定価以上、定価以下などの制限を設けなかったことも画期的です。人によっては、チケットの二次流通を「ネットダフ屋」というイメージで扱っていたかも知れませんが、主催者と提携をした瞬間、それは1つの流通手段として確立したことになります。それを証明するかのように、新しいスタイルのビジネスモデルとしての取材依頼も格段に増えました。今後は二次流通へのイメージ向上を目指し、こういった提携がさらに拡大するようこのサービスをしっかりと軌道に乗せたいと思います。

また、今後はサービスの国際的な展開も考えています。たとえば今、メジャーリーグのチケットを手に入れようとすると、日本から購入するのは非常に困難です。ダルビッシュや田中マー君、あるいは錦織圭のウインブルドンの試合を見たい場合は、観戦ツアーに申し込むか、現地に行ってから何とかしてチケットを買うのが普通ですが、海外の二次流通サービスと提携することで、こうしたチケットを日本から買えるようにしていきたい。また、日本に来る外国人観光客は昨年初めて1,000万人を超えました。こうした人たちにも、日本語以外の言語でチケットの販売ができる仕組みを提供していきたいと考えています。アジア最強を誇る日本のサッカーの試合や、初音ミクなど「クールジャパン」として注目されるアーティストのイベントなども、日本だけでなく海外の人々により気軽に参加できる場を作り、ライブ・エンターテイメントの市場全体の拡大に貢献していきたいと考えています。

[取材/執筆/編集] 高橋秀明、白井美紗

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