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賢くなるな。己の直感を信じよう
―先のことなどわからない。まずは多くの経験を―

株式会社日本プロバスケットボールリーグ 阿部達也

アメリカを中心に世界中に愛されているバスケットボール。しかし野球やサッカーに比べると、日本人選手の活躍を目にする機会は少ない。日本のチームを、世界へ通用するプロ集団へ――バスケットボールの普及強化のため走り続ける、日本プロバスケットリーグ(bjリーグ)専務取締役の阿部達也さんのご登場です。

阿部 達也(あべ  たつや)
株式会社日本プロバスケットボールリーグ 専務取締役

1965年生まれ、大阪府出身。茨木高校、京都大学卒。高校では大阪3位、大学においては2年連続で得点王となり、関西選抜主将も務めた。大学を卒業後、株式会社リクルート(現:株式会社リクルートホールディングズ)に入社し、1988年から2005年まで勤務。94年よりJBL(日本バスケットボールリーグ)の設立準備室企画担当、大阪府バスケットボール協会理事、関西学生バスケットボール連盟理事、日本学生バスケットボール連盟(現:全日本大学バスケットボール連盟)理事を兼務する。2004年、有限責任中間法人日本プロバスケットボールリーグ設立準備研究会を創設。2005年3月24日、河内敏光(かわち としみつ)氏とともに株式会社日本プロバスケットボールリーグ(最寄り駅:大門)を設立。2005年11月5日、bjリーグが開幕する。現在は専務取締役に就任。
2014~15年、2015~16年の2シーズンはターキッシュ エアラインズとネーミングライツパートナー契約により、リーグ名を「ターキッシュエアラインズ bjリーグ(TK bjリーグ)」としている。

地域密着型のプロチームの育成と、プロリーグ樹立を目指して

bjリーグ阿部達也専務

―日本プロバスケットボールリーグの事業内容についてご説明をお願いします。

  アマチュアで企業の実業団中心だったバスケットボールチームをプロ化しようと2005年3月に社を設立し、11月からリーグがスタートしました。現在(取材当時:2015年5月)22チームが所属しており、リーグ戦をはじめ、バスケットの興行事業を「bjリーグ」の名で行っています。目標は24チームへのチーム数の拡大、プロリーグ戦へ100万人の観客の動員です。(※来シーズンより24チームに拡大が決定。観客数は今シーズンで100万人を達成)

  そもそもプロのリーグ(主催団体)というのは、それぞれのチームが独立した中で、1つのルールのなかでチームとリーグの役割分担を決めて運用されるものになります。たとえばチケットの収入や交通費の支給額をどう振り分けるのか、放映権はどう割り当てていくのか……。そういったチームとリーグにとって一番効率のいい制度設計を、bjリーグ側が手がけていくということですね。

  事業としては、リーグ全体の価値を高める活動を行っています。特に我々は地域密着型のリーグなので地域の活動に力を入れています。今では沖縄の琉球ゴールデンキングスや秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBといった人気のあるチームが出てきました。

―実業団からプロになるという感覚は、選手からするとどのようなものなのでしょう?

  実業団の場合、選手はいわば企業に属するサラリーマンという形ですので、引退後も社員として勤務できるなど、雇用されている側としてある程度の保障があります。対してプロとなると、契約の更新が毎年ありますから、自分の力で契約を勝ち取らなければならないといった緊張感が出てきます。

  でも、海外ではほとんどの選手がプロになりますし、日本の選手のなかにも自分の若いうちは限界までバスケに打ち込みたい、とういう意識があるのです。もちろん今はサラリーマンほどの年収は稼げないかもしれませんが、プロとして上のレベルでチャレンジしたいという人は多いと思います。

  私も学生のころは関西選抜チームのキャプテンを務めたこともあり、続けていきたいとは思いましたが、会社に勤務しながら練習もする「二足のわらじ」の状態だと、中途半端でフラストレーションがたまるだろうなと感じたんです。そこでリクルート入社時はまずは仕事をメインに据えて、将来的にバスケのプロリーグをつくることに専念しよう、と考えました。

バスケへの情熱と矜持。自分を磨き続けた学生時代

バスケについて熱く語る阿部達也さん

―学生時代はバスケットボール一色だったと思いますが、始めたきっかけは何でしたか?

  小学生の時から走るのが得意だったので、中学では陸上部に入ろうと思っていましたが、陸上部がなかったんですよ。でも担任の先生がバスケ部の顧問をやっていて、運動神経のいい私に入部を勧めてきたことがきっかけです。やってみたら、おもしろくて。大阪府の大会でも3位に入賞し、ほかの試合でも優勝をしたりしたものですから、どんどんのめりこんでしまいました。

  学校は進学校でしたし勉強とバスケをするだけで精いっぱいで、バイトはできませんでしたね。普通の公立高でしたが、強豪校と渡り合えるよう、練習もあえて自分たちに厳しく課していました。インターハイには一歩及びませんでしたが、勝つにはどうしたらいいのか、ということを考えるのも楽しかったですし、充実していましたね。

京都大学でも2年連続得点王、関西選抜で主将を務められるなど、大活躍されていますね。主将としてチームを率いる身になって、今までと変わったことはありましたか?

  京大にもバスケに自信のある学生が集まるのですが、近畿大同志社京都産業大などは全員インターハイ出身だったりして、レベルが違うんですよね。そういった大学を相手に試合となると、始めから「負ける」という雰囲気になっている。

  でもそんな雰囲気だとしても、「やればできる」という姿勢でチームを鼓舞しないといけない。我々は何のためにこんなにしんどい練習をしなければならないのかといったら、歴代の京大チームで一番強いチームに我々がなるのだと、そういった目標やプライドを持たなければならないんですよね。

  このへんでいいや、という意識についついなりがちですが、自分たちの限界をどう破っていくのか。そこのメンタルの保ち方やプライドを、チーム全体にどう伝えていくのかが、すごく難しいと感じましたね。

―そういった経験から、今につながっていることは何でしょうか。

  「限界をつくらない」「集中する」といったことももちろんですが、バスケはチームスポーツなので、「ひとつの目標をみんなで目指していくことの大切さ」ですね。

  大学1年生の初めての大学対抗戦の時、あと数秒で試合が終わって負けてしまう、というタイミングでパスをもらいました。責任の重さに一瞬迷いましたが、思い切ってシュートして、ゴールを決めることができたんです。あの時は本当に嬉しくて、楽しかったですね。

  パスをしたら相手にゆだねる、でもないですけれど、チームメンバーを信頼しあわないと、ああいう場面でボールを任せられないですよね。そういうチームワークの大切さをバスケから教えてもらえたと思っています。

プロリーグをつくりたい――働きながら、夢の実現に向け模索する

bjリーグ設立について阿部達也さん

―卒業後はリクルートに入社されましたね。先ほど、就職後は仕事をメインにして将来プロリーグづくりをしたいと考えた、というお話がありましたが、就職先は何を基準にして選ばれたのですか?

  1976年のモントリオールオリンピックを最後に、日本のバスケチームは出場できていない状態でした。このままじゃいけない、プロ化しないと、という話が私の学生のころからすでにあったのですが、自分はもうあと5年10年したらプレイする年じゃなくなるし、それならプロリーグをつくるほうに回るほうがいいなと。組織の運営や経営に関して学べる会社を選ぶようにしました。

  京大の工学部の研究室にいたので、一流メーカーから商社まで、そうそうたる企業からの求人票を教授から渡されまして(笑)バスケ部のOBからお誘いをいただいたりもしましたが、そのなかでもリクルートは若くて一番勢いがあり、ビジネスの勉強もしっかりできそうだと感じたんです。

―リクルートではどのようなお仕事をされていましたか?

  入社して半年は採用人事を担当していました。その後はFNXという、FAXによる送信サービスを行う事業部に行きまして。今でいうIT系に近い仕事ですね。

  それからは私から希望を出して、『じゃらん』『ゼクシィ』『カーセンサー』といった情報誌の部署へと異動になり、東京に出てきました。掲載する広告の、広告主を集めてくる仕事で、ここが一番長かったですね。広告業界のことや、マーケティングについての勉強にもなり、ビジネスの最前線で働くことができました。

―実際にbjリーグを立ち上げられるまでの経緯をお聞かせください。

  リクルートにいる間、NBA(National Basketball Association/北米の男子プロバスケットボールリーグ)のファンクラブの広報誌を手がけたり、20代後半からは関西学生バスケットボール連盟の理事や大阪府バスケットボール協会理事など兼務していました。……どちらが本業なのかわからないくらいでしたね(笑)。

  そうしたなか、1993年のJリーグ開幕をきっかけに、バスケチームのプロ化も叫ばれるようになりました。96年にはJBL(日本バスケットボールリーグ/JBA [日本バスケットボール協会]主催)が設立され、私のほうでも、当時のJBAの副会長が京大のOBだったのもあり、一緒にJBLのプロ化を目指そう、という話をしていたんです。漫画『スラムダンク』の人気も後押ししましたね。JBL発足当時はプロ化の機運が高まり、我々も協会に何度も掛けあいましたが、これがなかなか進展しなかったんです。

  2004年の4月には、プロ化を目指したい新潟アルビレックスと埼玉ブロンコスの2チームがJBLの脱退を宣言し、我々も「協会がやらないなら自分たちでやろう」と、河内(河内敏光[かわち としみつ]氏/現bjリーグコミッショナー兼代表取締役)とともに準備を進め、2005年3月24日に当社を設立しました。

  同じ年の4月にはJBLから新潟埼玉が正式に脱退して、彼らを中心とし、仙台89ERS、東京アパッチ、大阪ディノニクス、大分ヒートデビルズを加えて、11月5日にbjリーグ開幕の運びとなったんです。

多事多難な“完全プロ化”への道。その先のステージを目指して

阿部達也専務が語るプロ化の難しさ

―実際にプロリーグをつくるにあたって、一番難しいと感じられた点はなんですか?

  実業団の場合、企業の関係者とその家族といった近しい人が「うちの会社のチーム」という意識を持って試合の応援に来てくれるわけです。しかし地元のチームだからと試合のチケットを買って家族を誘って応援しにいくというのは、そこに住む人にとっては少しハードルが高いというか、そもそも選手たちを地域で支えていくという概念、文化がないんです。そういった文化を根付かせるのが非常に難しかったですね。

  でもbjリーグ立ち上げから10年以上経ちまして、それも定着しつつあると感じています。

―JBLという、もともとあったトップリーグから新たにプロ化を目指すリーグができると、当然、日本バスケットボール協会……JBAとの軋轢も?

  いやあ、ものすごくありましたね(笑)。そのあたりは世間でも取りざたされていることで私も随分こたえましたが、そういったことも乗り越えて、「プロとして活躍したい」「地元を盛り上げたい」という強い想いによって参加チームが6チームから22チームにまでになった。このエネルギーはすごいと感じています。

  最初は試合会場を貸してくれる場所も見つからずに苦労しましたが、プロ化についての趣旨を理解し、陰で応援してくれる人もたくさんいて、助けられましたね。

―現在、日本のバスケットボール界では御社のbjリーグ、そしてJBLに代わってつくられたNBL(ナショナルバスケットボールリーグ)の2リーグがありますね。
そこを統合化させ、完全プロ化を前提とした新リーグがつくられると、今話題になっています。

  実は、JBAはもともと、FIBA(国際バスケットボール連盟/本拠地はスイスのジュネーヴ)から「国内リーグは1つにすべき」という要求を受けており、それがなかなか実行できない事実を指摘されて、現在FIBA資格の無期限停止処分にさせられています。

  統一リーグを急がなくてはならないし、プロリーグということであれば、bjリーグも反対する理由がありません。川淵さん(川淵三郎[かわぶち さぶろう]氏/日本サッカー協会最高顧問。今回の統合問題にあたり、特別チームのチェアマンに就任)がリーダーシップを発揮し、統一リーグに向けて順調に進んでいます。

―今後、御社はどのような方向を目指していきますか?

  新リーグに向けて、bjリーグは来年の11シーズン目をもって解散します。でも、今まで築きあげた地域の誇りとなるチームをみんなで応援する文化を、さらに発展させていきたいですね。そのなかでビッグクラブができて、アジアのNo.1になり、さらにNBA選手も輩出できるようになれば嬉しいですね。

  アジアのレベルは今、世界で見ると追いついていませんので、そういった選手を出すためにも、選手の育成強化システムをつくりたいと思っています。アジア全体のレベルの底上げも、今後のテーマにしていきたいですね。

ただまっすぐに“好き”を追求し、目の前のことに取り組もう

bjリーグ阿部達也さんからメッセージ

―阿部さんが仕事をするうえで信念としているものはありますか?

  ブレない、ということですね。リーグの仕事で一番大事なのはお客様ですから、常にお客様目線でいることを心がけています。そしてスポンサーや選手、バスケに関わる人みんながハッピーになることを考えなければなりませんので、しがらみとかを抜きに、いつもそこに立ち戻って考えるようにしています。

―それでは、若い人へメッセージをお願いいたします。

  自分の好きなことを、とことん追求したらいいんじゃないかなと思います。ひとつの目標にたどり着くまで、その間にあることはえり好みせず、120%の力で真剣に取り組むこと。

  たとえばプロのバスケ選手を目指すにしても、バスケだけではなく、いろんなことを経験しなければならないのです。それは日々の筋力トレーニングや相手チームの分析といったことはもちろん、バスケとは全く違う面から影響を受けることもあるかもしれません。でもそういう経験をしていくことで、自分が本当にやりたいことに近づいていくんじゃないかと思います。

―「目指すものがない」「夢がない」といった人に対してアドバイスはありますか?

  まずは行動を起こしましょう。いろいろ経験したなかで「これは自分には向かない」と思ったら選択肢から消していけばいいのでは。私は今の仕事を好きでやっていますけれど、この先「やってよかった」と思えるのか「やってみたけどダメだった」と思うのか。正直それは不透明でわかりません。

  先々のことを見通し過ぎてしまうと、迷いや心配が次々に出てきます。だから、「先のことはわからない」と思ってしまったほうがいいでしょう。世の中は変わっていくものです。自分の直感を信じ、迷わず進んでいくこと。特に若い人にとっては、それが一番だと思います。

  賢くならずに、まずは目の前のことをしっかりやる。そうすれば、次が開けていくはずです。

<株式会社日本プロバスケットボールリーグ>
〒105-0013 東京都港区浜松町1-10-11 浜松町OSビル2F
都営大江戸線または都営浅草線 大門駅より徒歩約5分

[取材]高橋秀明・真田明日美 [執筆・構成・撮影]真田明日美

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