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明日の自分は、思う通りにつくることができる
―明日を前向きに生きるために、今、笑顔でいよう―

株式会社ベアーズ 高橋ゆき
高橋 ゆき(たかはし ゆき)
株式会社ベアーズ 専務取締役
家事大学 学長・家事研究家・日本の暮らし方研究家
一般社団法人 全国家事代行サービス協会 副会長
一般社団法人 東京ニュービジネス協議会 理事
一般社団法人 ベビー&バースフレンドリー財団 理事
日本ママ起業家大学 顧問
日本女子経営大学院 ワークライフインテグレーション研究所 所長
特定非営利活動法人 放課後NPOアフタースクール アドバイザリー
映画「うまれる」 アドバイザリー

短大を卒業し、IT企業の営業、出版社マーケティング部門勤務ののち香港の現地商社に入社。その際に外国人メイドとの貴重な出会いがあり、帰国後、夫で社長の高橋健志(たかはし けんじ)氏が株式会社ベアーズ(最寄り駅:水天宮前)を起業。「日本に家事代行サービス産業を創ろう」を合言葉に、夫とともに、自宅兼オフィスの小さな清掃業からスタートした会社を社員数180名、登録スタッフ4300名の、業界のリーディングカンパニーに育てる。現在は、専務取締役としてマーケティングと人材教育を担当。2015年、世界初の家事大学設立。学長として新たな挑戦をしている。また、家事研究家、日本の暮らし方研究家としてテレビ・雑誌などで幅広く活躍するとともに、働く女性への講演も数多い。最新刊『感情の折り合いをつけられる女(ひと)は強く美しくなる(明日香出版社)』が好評発売中。

心にゆとりを与える、家事代行という名の“産業”

ベアーズの家事代行サービス 株式会社ベアーズで最も人気な家事代行サービス

―リーズナブルな料金で質が高く、家事代行やキッズ&ベビーシッターなど、様々な家事支援サービスを提供しているベアーズですが、やはりメインの事業は家事代行になりますでしょうか。

  はいそうですね。利用者全体のおよそ80%が、家事代行のサービスを利用されています。創業から数年は、共働きで子どもを持つ富裕層の家庭の利用が全体の80%を占めていましたが、震災後の4年間で利用層の属性が大きく変わり、現在は全体の約50%が共働きで子どもを持つ家庭、残り50%が1/3ずつ均等に、専業主婦、単身者、足腰が弱ってお手伝いがほしいと感じているシニア世代、となっています。

  富裕層に限らず、あらゆる立場や年代、男女問わず使ってもらえるようにしたかったので、ようやく今、全体のバランスが取れてきたかなと感じていますね。

―家事が楽になると、ゆとりを持って生活することが可能になりますね。

  そうですね。今、女性の社会進出のためにいろんな政策が打ち出されていますが、仕事に出産、育児と抱え込むことが多い女性にとってまず何が必要なのかといったら、心にゆとりを持たせることだと思うんです。

  心にゆとりができれば、結果的に出生率の低下を防ぎ、離婚率、引きこもりやいじめの問題なども減ってくると思いますし、そういうのを改善するためにも、家事代行という“産業”を、「日本の暮らしの新しいインフラ」にしたいと考えています。多くの人が抵抗なく、より手軽に家事代行を利用するためにも、国単位で検討してほしいですね。

―ベアーズを創業された当時は、「家事代行」という言葉も概念もなかったんですよね。

  そうなんです。夫で代表取締役の高橋健志が考えました。勝手に言葉をつくりましたから最初は当然、誰もこの言葉を知りません。ですので、まず2人で定義を考え、言葉を普及することから始めました。

  それまでは「知らない人に家事をさせるくらいなら私がやる。お金を払うなんてとんでもない」という社会的な概念があり、家事代行、と言ってもなかなか理解されませんでした。創業当時は、銀行からお金も借りられない状態で。

  でも、この言葉をひとりでも多くの人に伝えたい、家事代行を産業化させて、女性の負担を減らし、笑顔をつくっていきたい……という強い使命感に突き動かされていましたから、その点はとてもやりがいがありましたね。

バイトと部活に明け暮れた学生時代。その根底にあったものは“自立心”

ベアーズ高橋ゆき専務取締役

―ゆきさんの学生時代についてお聞かせくださいますか?

  私の母は出版社の経営者で、父は写真家でした。私は3歳から日本舞踊のほか、お三味線や華道、お琴といった、和の世界の習い事をしていましたが、高校生になったら反動といいますか、全然型の違うダンスの世界に行きたくなっちゃって(笑)。1日に4つのお弁当を持っていっては、ダンスの練習ばかりしていましたね。

  そうしていたら顧問の先生から体育大学を勧めてもらえるほどになってしまったんですが、大事に育てた一人娘がスポーツバックを抱え、ジャージ姿で学校に通うなんて……と父が悲しそうな顔をしまして(私はスポーツウーマンに憧れていましたが……)。それで、大学は短大の英文学科に進み、そのあとの2年間は語学留学をしようと決めました。

―いずれお母様の会社を継ごうという気持ちはありましたか?

  「お嬢様」と言われるのが、一番嫌でしたから……いやおうなく「親の七光り」という目線を向けられるし、嫌味を言う人もいるんです。そういう人たちを見返してやりたい、私は私で、世の中のためにできる仕事がしたいと、どこかで自立心のスイッチが押されていたんです。

  ですのでアルバイトは短大にいる間、家庭教師や、イベントスタッフ、新規オープンするお店のお手伝いなど、いろいろな単発のお仕事にチャレンジしました。ちょっと手が足りない場所へ手伝いに行く、というスタイルは、今の家事代行のお仕事と変わらないですね。授業はまともに受けた記憶はないのですが(笑)、アルバイトをするなかで知り合った大人の方々や、ご縁のあった企業様から“社会”という世界を教えていただきましたので、本当に私の人生の教科書だったなぁと思っています。

―留学に関してはいかがでしたか?

  実は、卒業する前の年に、同居していた祖母が倒れてしまったうえ、直後に母も過労で倒れ、母と祖母、2人とも入院する事態になってしまったんです。これはもう留学なんかしている場合じゃないとあきらめて、そのまま就職することにしました。

ひょんなことからIT企業の営業部に就職。順調な新卒時代だったが……

家事研究家でもある高橋ゆきさん

―卒業も間近という時に留学をあきらめたということは、就職活動も集中してできなかったのでは?

  さあどうしましょ、と就職情報誌をパッと開いて見てみたら、社員の似顔絵がたくさん描いてある会社の情報が目に飛び込んできたんです。すぐさま電話して、面接をしてもらいました。本社が札幌にあるIT関連のメーカーだったんですが、実は私、その会社の本社がどこにあるのか、募集職種は何なのか、そもそも何の事業をしているのかも全然知らなかったんですよ。

―本当に、ただパッと見ただけで面接へ行かれたということですか!?

  ちょっと普通じゃ考えられないですよね。でも、抵抗なくできちゃって(笑)。私が向かったのは東京の営業所で、応対をしてくれた方は何も知らないまま面接に来た私にびっくりしていましたけれど、本社にいる社長に取り次いでくれました。すると、社長がおもしろがってくれて私に会ってくださるというので、さっそく東京から札幌に飛んだんです。

  最初は事務をやってくれ、と言われたんですが。私は営業がやりたいと言いましてね。営業なんかできるの?と聞かれ、「なんかできるような気がします!」と自信満々に生意気に答えたことを未だに覚えています(笑)。そうして東京の営業部に配属となりました。

  同社で開発したワープロソフトを家電量販店などへ売りにいく仕事で、営業部は私以外、全員男性でした。ただひとりの女性としてものすごいプレッシャーもありましたが、営業ノルマを与えてもらった時、すっごくワクワクしちゃって。ゲームをクリアしていくように、新卒らしからぬ好成績を残してきたんです。

―すごいですね!具体的にどんな営業をされていたんでしょう?

  ある日、私が担当していた秋葉原の家電量販店の売り場で、商品がどのように売れていくのか観察していたんですよ。するとお客様は、私たちの商品を手に取っては見てくれるものの、隣にある大手メーカーのワープロソフトのほうを買っていくんですね。

  商品を見比べると、内容もパッケージの装丁も全くひけをとらない。なぜ隣の商品を買っていくんだろう?とお客様に直接ヒアリングしていくうちに、ソフトはパソコンによってキーの打ち方や使い方に違いがあり、その点でうちの商品はわかりにくいせいだ、ということに気がついて。

  そこでお店の人に頼んで、商品のレクチャーを含めた店頭販売をやらせてもらうことにしたんです。そうすると、5人に対して説明すれば5人、10人に対してすれば10人と、全員買っていってくれました。そのうちお店の近くにパソコンを並べて、商品の使い方教室をつくったりして。そうして自然と売上げが伸びたんですよね。

―順風満帆の新卒時代のように見えますが、1年弱ほどで転職されていますね。

  母から「うちの会社に入社してほしい」と声がかかったんです。とっても嫌だったんですが、尊敬する父から「お前は大事な跡継ぎなんだから、ここはお母さんのためにがんばるべきじゃないのか」と諭されて。納得して、務めていた会社に退職届を出しました。

  会社にいる間、生意気なことを言って迷惑をかけたりすることもありましたが、この新卒で入った会社の同期は未だにお付き合いがありますし、私の一生の宝になっています。

―そうしてお母様の経営する出版社に転職されたのが21歳の時ですね。勤めておられる4年の間、ホテルマンとして働いていた健志さんとご結婚されますが、そのあと会社が大変なことになると……。

  母は不器用な人でした。自分が走っていれば、社員は勝手についてくると思い込んでいて、社員に自分の想いをきちんと伝えてこなかったんです。そのせいか、私が会社に入った時、すでに会社全体がとても病んでいて……そのうちに内部紛争が起きて、会社は黒字倒産。両親は破産となり、私は破産完済人として弁護してくださった先生のもとで動くことになりました。

  会社は誰のために、何のためにあるのか。それを20代の半ばで、肌で感じることになりましたね。この時の経験は、私が会社を創業し、経営しているなかで、一番の財産となっています。

  でも、つらかったいっぽうで、「跡継ぎ」として敷かれたレールが突然なくなったことに、すごく喜んでいました。もう私はこれで自由なんだと。

「産業を創ろう」―香港での経験と夫の言葉が、ベアーズ創業のきっかけに

ベアーズ誕生について語る高橋ゆき専務取締役

―そのあと、香港の商社に入社しておられますね。

  母の会社にいる間、香港へ出張して広告費を集める仕事を任されていたことがありました。そこで出会った香港の商社の社長から、「うちで働いてみないか」というオファーをいただいたんです。そこで夫とともに香港に渡り、夫婦そろって入社しました。

―旦那様も一緒に、海外の同じ会社へ入社、というのは素敵ですね。

  なんて愛されているんだろう、と思いきや「これからの世の中はアジアが舞台。そこで勉強できるいいチャンスを作ってくれてありがとう」と。私の人生についていくわけじゃないんだぞって言われて(笑)。彼らしい言葉なんですけれどね。

  そうして現地に入って3か月目。私の第1子の妊娠が発覚しました。私は実は不妊治療をしていたくらいなので、大喜びの出来事だったはずなんですが……どうしても喜べなかったんです。

  今から20年前の日本は、OLというとお茶くみとコピー取りが仕事。妊娠が発覚しようものなら、周囲は表面上は「おめでとう」と言うものの、裏では「あいつはもう会社を辞めるな」「引き継ぎは大丈夫か」と冷ややかな目線を向ける。そういう時代でした。

  そんなところを見てきた私でしたから、妊娠のことを社長にどうしても打ち明けられなくて……。そのまま4か月、5か月……と時が過ぎ、いよいよ隠し切れないくらいになって、社長にカミングアウトしたんです。そうしたら、社長が満面の笑みで手を握って、こう言ったんです。

  「おめでとう。君はこれでもっといい仕事ができる素敵な女性になるね。子どもはみんなで育てて、君は今より2倍以上働いて、何倍以上もの成果を上げて、うちの会社を通して社会貢献できるんだ」

  どういう意味だろう?とよくよく聞いてみると、「香港にはフィリピン人のメイドがいて、家事や子育てのサポートをしてくれる」と。考えてみれば、香港にはたくさんのフィリピン人が歩いているし、社長の会社では、妊娠、出産の関係で仕事復帰できないなんて人はどこにもいなかったんですよ。今まで視界に入っていなかったけど、たくさん臨月の妊婦さんが働いている。「すごい、日本より数段進んでいる」とその時本当に思いました。

―香港では、メイドを雇うというのは当たり前なんですね。

  私も最初は抵抗がありました。でも郷に入っては郷に従え、ということで、スーザンというメイドさんを雇うことにしたんです。そうしたら、彼女は本当によくしてくれて。労使の関係以上に、精神的な大きな支えになりましたね。産んだあとも今と変わらないくらい、すごく活き活きと生活ができたんです。旦那さんにも子どもにも優しく笑顔で接することができ、元気よく仕事に行けたのも、スーザンがいたからこそでした。本当に心身リラックスし、そのおかげで第2子にも恵まれました。

  日本は今、女性の幹部を増やそう、少子化に歯止めを、と叫んでいますが、日本だと小さな子どもを抱えたまま仕事をすると、ほとんどの女性がズタボロになったりしますよね。でも、香港ではその課題を、20年以上前にすでにクリアしていたんです。

―香港の女性の社会進出の下支えになったのが、メイドさんたちの存在なんですね。

  そうなんです。結局、香港には4年間滞在しまして、日本に帰国してすぐにしたことが、“スーザン”を探すことでした。でも、タウンページを開いて探しても、日本には同じようなサービスが、どこにもない。ハウスクリーニングという仕事は専門の機材を使う職種だし、家政婦さんは私から指示しなければ動かないし、料金も割高。私は仕事に家事に育児に、追われることになって。

  その間、夫はホテルマンの仲間たちと海外へ数か月間、留学していたんですが、帰国するなり言ったんですよ。「お前、どうしてそんなにブスになったんだ」と。

―帰るなり、衝撃的な一言ですね……。

  彼の“ブスになった”という言葉の意味は、「笑顔が少なくなった」って言うんです。思わず、「スーザンがいないからよ。子どもを2人も抱えて、仕事も家事もするなんて、大変すぎる。どうしろっていうの」……と話しましたら、夫がこう、“考える人”のポーズになって黙りこんで。30秒くらい、我が家はなんともいえない、ピンと張りつめた空気に包まれました。

  と、突然、夫がパッと目を上げていったんです。「じゃあ、産業を創ろう」と。日本にスーザンのような家事のお手伝いしてくれるサービスがないなら、自分たちで創ればいい。……これが、ベアーズが産声を上げた瞬間でした。

―冒頭でおっしゃった、「家事代行を産業化する」というのは、そういう経緯から至った想いなのですね。

  はい。私たちはベアーズという会社を立ち上げる、というより、家事代行という産業を創るために出会い、一緒にやっているんだと思っています。もしあの時、「会社を創ろう」と言われていたら私は難色を示していたでしょうね。両親の会社が倒産したところを見た私にとって、会社を経営するのは大変だって知っていましたから。でも、“産業を創る”っていうのは、ドラマティックで、ロマンティックで……それならやるべきだ、と思いましたね。

仕事とは、自分が志したものすべて。“愛”を持って会社を支えたい

高橋ゆきさんにとって仕事とは

―現在でも働く女性にとって、仕事を両立させながら出産や子育てをすることに不安を抱える人は多いと思いますが、それについてゆきさんからアドバイスはありますか?

  3つあります。1つめは、「悩むな」。悩んでも解決しませんから。悩む前に考えて、後悔しない選択をして、間違ったと思ったら反省をしろということですね。

  2つめは、「人と比べるな」。人と比べると焦ったり、自分のことを必要以上に責めて、自分のことを許してあげられなくなったりします。こんなに悲しいことはありませんから、人と比べることはやめましょう。

  3つめは、「人生は自分の選んだ通りになる」。今、みなさんは、自分で選択したうえで、ここにいるのでしょう?だから「昨日がこうであったら……」とか「明日はどうなるんだろう」とか、考えても仕方のないことに悶々とするよりも、「今、ココ」をとにかく丁寧に、なるべくすべてを前向きにとらえて進みましょう。そうすれば、明日も前向きに生きていけます。

―ゆきさんにとって、仕事とはどういうものですか?

  明日の自分はいかようにもつくり上げられるものです。自分が「こうしたい」と志したものが、“志事”だということになりますね。その9割はつらい、苦しいといったような、心がきしむことばかりなのですけれど、それでも自分が志したもののため、愛と感謝を持ってやってきましたね。

  愛とか志とか、こういうことを堂々と言うと、「スピリチュアル系の人?」とか思われてしまうんですけれど(笑)そうではなくて、私は ”愛の経営”というものが、真面目にグリップしてくる時代がこれから来ると信じています。本当の愛情というのはただ優しいよりも、どちらかというと厳しいもの。私も真剣に会社のことを考えれば、どんなことでも遠慮はしないし、躊躇しません。そうした愛を貫くのは大変だし、愛を持って会社を経営するというのは、ある意味最大の挑戦だと思っています。

  ベアーズは、その挑戦の最先端を行く会社でありたい思っています。そんなベアーズに関心のある方は是非、インターンシップでもアルバイトでも、いらしてください。一緒にこの産業を創っていきましょう。

<株式会社ベアーズ>
東京本社
〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町1-34-5
東京メトロ半蔵門線 水天宮前駅より徒歩約2分

[取材]高橋秀明・真田明日美 [執筆・構成・撮影]真田明日美

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