30代鹿児島蔵元の挑戦!國酒・本格焼酎の“今”を生き、文化を築く!
- (※写真左から)
- 宇都 尋智(うと ひろとも)
- 宇都酒造株式会社 杜氏(とうじ)
1978年生まれ。2001年に東京農業大学 応用生物科学部醸造科学科卒業。卒業後3年間、和歌山県の清酒蔵で修業し、2004年より宇都酒造株式会社4代目として自蔵に戻る。2008年より杜氏を兼ねる。 宇都酒造株式会社(鹿児島県南さつま市加世田)創業1903年(明治36年)/代表銘柄「天文館[てんもんかん]」「金峰[きんぽう]」。
- 小牧 尚徳(こまき ひさのり)
- 小牧醸造株式会社 専務取締役
1978年生まれ。川内高等学校を経て東京へ。2000年、自蔵である小牧醸造株式会社に戻り、2011年専務取締役に着任。2006年の水害により蔵が壊滅。全国からの協力によりわずか2か月後に製造再開。創業100周年を迎えた2009年、5代目社長を務める兄とともに「一尚」を手掛ける。現在は「一尚」シルバー、ブロンズを発売。 小牧醸造株式会社(薩摩郡さつま町時吉)創業1909年(明治42年)/代表銘柄「小牧」「一尚[いっしょう]」。
- 小正 芳嗣(こまさ よしつぐ)
- 小正醸造株式会社 専務取締役 経営戦略本部長 兼生産本部長
1978年生まれ。2003年東京農業大学大学院 農学研究科 醸造学専攻卒業後、小正醸造株式会社に入社。2012年より専務取締役、経営戦略本部長、生産本部長を兼任。首都圏展開の銘柄も多く、日置市の日置蒸溜蔵にて製造。 小正醸造株式会社(日置市日吉町)創業1883年(明治16年)/代表銘柄「蔵の師魂[くらのしこん]」「赤猿[あかざる]」。
- 白石 貴史(しらいし たかふみ)
- 有限会社白石酒造 杜氏
1978年生まれ。2001年東京農業大学 応用生物科学部醸造科学科卒業後、1年間研究生として在籍。2002年、有限会社白石酒造に入社。2010年鹿児島大学大学院に社会人枠で入学、2012年卒業。現在は杜氏として一括管理を担う。 有限会社白石酒造(いちき串木野市湊町)創業1894年(明治27年)/代表銘柄「天狗櫻(てんぐざくら)」「季節の天狗櫻」。
國酒・本格焼酎づくりが家業の同級生蔵元。4人の“個性”が華ひらく
―國酒(日本のお酒)である「本格焼酎」に携わる、皆さんの業務内容について教えてください。
小正:小正醸造の国内外の営業、製造のマネジメントが中心です。週の半分は鹿児島にいて、年に4回ほど海外出張があります。
宇都:宇都酒造の杜氏です。杜氏とは、蔵内の統括、原料が発酵するまでの品質や温度など、味の決め手を管理する製造責任者です。
小牧:小牧醸造の営業、新商品の企画立案などを担当しています。兄が社長として経営面のハンドリングをしているので、私は営業兼企画、広報など社外的な業務を担っています。
白石:白石酒造の杜氏です。以前は杜氏を雇っていましたが、今は自分が杜氏として製造を一括しています。
―皆さん100年以上続く焼酎蔵の直系の方々ですよね。日本の伝統を受け継ぐなかで、大変だったことや苦労したことは何ですか?
小正:小正醸造は、社員やパートを合わせて130名(平成28年3月現在)の焼酎メーカーとして東京や大阪、福岡に支店を構えています。だからこそ意識しているのは“社内の人材”ですね。
大学院を卒業して鹿児島に帰ってきた時、周りは私に期待をしてくれていた反面、新しい提案をするとなかなか変化に対応してもらえないことがありました。
ノンアルコールの需要を見据えて2011年に発売した業界初のノンアルコール芋焼酎「小鶴ZERO(こづるゼロ)」も、企画段階から理解してもらうまで大変でした。現場で製造に携わる職人と考え方が違うことも多々あります。
最初のころはすり合わせに摩擦が生じたり、結果辞めてしまうケースも。どの企業にも言えることでしょうが、組織として同じ方向で前進するために“人材の育成”は大事ですね。
宇都:蔵の作業はひとりではできないので、製造責任者として、蔵人(くらびと/杜氏のもとで酒づくりをする職人)との“あうんの呼吸”ができるまで大変でした。
“おいしいもの“をつくろうと高みを目指すと、従来のものから変化させるから必ず手順が増えるんです。清酒蔵と自蔵の修業を経て宇都酒造の杜氏になりたてのころ、周りの職人のほうが年上で。前任の杜氏のやり方で十数年やってきた自負もあるから、変化を好まない人も……。
「わかりました」と了解してくれても、現場ではやっていないパターンがしょっちゅう(笑)。ずっと目を配っておくと守ってくれるのですが、目を離すと従来のやり方に戻ろうとする。私が予測していた焼酎と違う味で仕上がってくる(笑)。納得してもらうまで難しかったです。
―その状況をどのように克服したのですか?
宇都:味の変化を実際に体験してもらうため、その日にできた焼酎で頻繁に飲み会をしましたね。私が杜氏として目指しているゴールを一緒に体験して、イメージを共有してもらえるよう努めました。徐々に納得してくれて、新たなチャレンジにも賛同してもらえるようになったんです。
―同じ方向に進むことができたのですね。では、小牧さんはいかがですか?
小牧:2006年7月の水害で、小牧醸造の蔵が水没した時ですね。 私たちは100年以上続いてきた蔵の跡取りですが「蔵って潰れるものなんだ」と初めて認識しました。東日本大震災前の出来事だったこともあり、水害がどのような影響をもたらすのか誰もイメージができなかった。数日後に水が引いて現実を目の当たりにしました。
焼酎を貯蔵する大型タンクは乱雑に倒れ、原料のさつま芋・麹・水を発酵させた「もろみ」が入るはずの甕(かめ)つぼには汚泥が溜まっている。つくった焼酎もすべてなくなって、7月以前の味が誰もわからない状態。取引していた販売店のデータもなくなった。
世間は焼酎ブームなのに加われない自分たちがいました。そして何より今まで受け継がれてきた伝統とよばれるものが手元に何ひとつ残っていなかったんです。
―前進するきっかけは何でしたか?
小牧:八方ふさがりになった時、「志さえ変わらなければ、必ずいつか同じものがつくれる」と先代たちの思想を学んだことですね。
同じ酒をつくり、物質的に皆さんへ提供し続けることも伝統産業である酒蔵として大事です。でもそれ以上に、小牧醸造の蔵人が同じ志を持ち、自分たちの“思想”をぶらさずに表現して引き継いでいくことのほうが大事だと。
焼酎屋だから、焼酎をつくって売れたら自分たちの生活ができていた……今までの方程式が成り立たない現実にさらされて「生きるために働く」というのを認知させられましたね。
白石:私の場合は、大学を卒業して地元に戻った時ですね。周りから「おいしい焼酎をつくってくれるだろう」と期待をされていました。
上質な原料を使って手間をかければおいしいお酒ができると思っていましたが、そうではなかった。確かに綺麗な味ではありましたが、深みがない。今までの白石酒造の味とは全く違った魅力のないものになってしまいました。
代々受け継がれてきた自蔵の焼酎をちゃんとわかっていない状態で、そういうことをしてしまったんです。3年くらいは酒質が安定しなくて、商品として世の中に出せるものなのか、生活がかかっている仕事だけに仕込み時期のたびにプレッシャーに押し潰されそうになっていました。
今となってはその失敗や経験が引出しになっています。自蔵だけではなく、いちき串木野市の歴史や風土を考えながら真摯な気持ちで焼酎をつくるようになりました。
不思議なことに、代々この地で酒づくりをしてきた人たちの魂や精神が今もなおこの地に宿っていて自分の身体を貸して焼酎をつくっている感覚になることがあります。
杜氏として、地元の人たちや自然と密接に結びついて表現していきたいと思っています。
“伝統文化産業”を自分の代で潰したくはない。だから貪欲に行動する
―伝統や文化を受け継ぐ環境で育ち、葛藤はありませんでしたか?
小正:ありませんでしたね。幼い時に小正醸造は経営危機に陥ったことがあります。子どもながらに祖父や父の姿を見ていて「自分も助けたい」と思っていました。
父は焼酎づくりの技術者出身ではなく経営一本の人なので、自分が製造を勉強しようと東京農業大学を選びました。幼少期の経験がなかったら焼酎業界に入らなかったかも。
宇都:もともと技術者に憧れていたので、まったく抵抗はありませんでしたね。杜氏だった父の姿がカッコよかった。中学を卒業する時には「大学で醸造科に入って勉強するためには、どの高校に行けばいいのか」と人生設計していましたから(笑)。
小牧:私は抵抗感がありましたね。子どものころから瓶詰め(瓶に焼酎を注ぐ作業)とか手伝わされていたんです。土日に友達と遊びに行けないし、お小遣いをもらえるわけでもないから、とにかく焼酎に関わる仕事が嫌い。もちろん、その仕事を手伝わせる大人も嫌い(笑)。家では学校の話はするけれども、焼酎の話は一切しませんでした。
―いつから焼酎に関わる仕事を魅力的に思うようになりましたか?
小牧:大きなターニングポイントは先ほどお話しした水害です。蔵が潰れかけた時、初めて会う焼酎ファンの方々が全国から応援に駆けつけてくださいました。蔵が再建し、焼酎づくりができるようになったんです。
“焼酎をつくる”という家業は、単に“モノ”として製造するのではなく、この人たちのためにあるのだと“仕事の意義”を理解してからですね。
白石:私の場合は、ものづくりに興味があったので家業を継ぐことに抵抗はなかったですね。焼酎づくり自体は20日弱でできあがり、そこから熟成期間に入ります。季節労働のようなものなので、学生の時は陶芸など興味のあることもやりながら自己表現のひとつとして酒をつくっていけばいいと考えていました。 実際はそんなに甘いものではなく、四六時中、焼酎のことを考える生活です。
―後世へ伝統文化産業を受け渡す身としては、どのように意識していますか?
小正:自分の子どもはやりたいことをやればいいと思っています。私の場合は就職活動をしようと思っていたら、焼酎ブーム期で会社が忙しいから帰ってくるよう言われて自社に就職しました。
宇都:本人の興味しだいですね。私の気持ちとしては「自分の代で潰したくない」というのはあります。これは経営者や杜氏と立場は違うけれど、4人みんな同じだと思います。
小牧:確かにそう。100年も続いている会社だから、私たちの代で色は変えられない。資金繰りを良くしたり、規模を大きくしようとすれば蔵を売ってしまう方法もある。でも蔵の子どもとして育っている人はそれをしないと思います。
宇都:「伝統」は小さな変化の積み重ねだから、会社や蔵の骨格さえ変えなければ、歌舞伎同様に、基本を知っていれば“くずし”もあっていいし“遊び”を持たせていい。それが「伝統」としてつながっていくものですし。
小牧:社長である兄と「うちの蔵を受け継ぐ人は、誰の子どもでも構わない」と話しています。ただ、小牧醸造の考え方を次の世代に伝えていくためには、小正くんが言ったように“人材の育成”は欠かせません。
108年続いているうちの蔵は、私たちだけではなくて働いている人やその子どもに「うちの蔵ってカッコいいよね」と地元で言われる蔵にしたい。それにはきちんと“思想”をぶらさず、地に足をつけて行動することが大事。
白石:焼酎を取り巻く環境は時代で変わっているので、後世の人が決めるものだと思っています。まずは自分たちが後世の人に受け継いでもらえるような仕事をしていきたい。それが伝統をつないでいく一歩ですから。
それぞれの学生時代が、30代の“今”を築く
―皆さんは、どのような学生でしたか? アルバイトはされていましたか?
小正:大学時代はアメフトをがんばっていましたね。朝と放課後はアメフトの練習、夜10時から朝まで近所のファーストフード店でアルバイトという生活。お金がかかるスポーツなので、4年次の研究室に入るまでアルバイトは続けていました。
アメフトで学んだチームプレー精神は、社会に出てからもチームワークや組織づくりに活きています。諦めない気持ちと根性も鍛えられましたね。
宇都:仕込みの実験をすることが楽しくて、実家から原料を寄り寄せていろいろと試していました。実験に注力したかったので、アルバイトは同級生のお父さんの建設会社で新しいマンションやホテルの搬入出が必要な時だけ手伝っていました。
実家ではできない実験に夢中になって「焼酎づくりは楽しいもの」と社会に出る前に体験していたのは、よかったと思っています。
小正:私と宇都くんと白石くんは大学の同級生。醸造科は特殊な分野なので、同級生に清酒蔵や小売店の息子もいますし、醤油屋や味噌屋、同じような悩みや価値観を持った仲間と出会えました。そのネットワークは今でもつながっています。
小牧:私は学生時代、バスケットボール部でインターハイに向けてがんばっていました。マンガ『SLAM DANK』が流行っていて、すぐに主人公の桜木花道に影響を受けて髪の毛を染めました(笑)。
アルバイトは東京に来てから。もともと蔵を継ぐ気はなかったので、やりたいことを探そうと。まだお酒が飲めない年齢でしたが、友達の家に居候しながら近所のバーでアルバイトをしていました。常連の方から処世術を教えてもらったり、今につながる社会勉強ができました。
白石:農大の醸造科に入学したものの、お酒ではなく“視覚的なもの”に興味があって造園など他学科の授業を受けたり、美術部に入って一生懸命に絵を描いていました。
ある日、中国伝統の薬草や蛇の入った薬膳酒を見た時に、お酒でも視覚的におもしろいものがあるなと。そこからお酒に興味が湧きましたね。
近所の居酒屋でアルバイトをした時、食材や味付けなど味覚の世界に魅了されたんです。たまたま自蔵の焼酎も取り扱っているお店で、お酒を提供する立場として様々なお客さまと接することができましたし、世間のニーズを情報収集できました。そこから一気に道が開けたような気がします。
今は個々の能力を高める時期。それが、焼酎業界を盛り上げる力になる
―現在、注力していることは何ですか? 目指している方向性を教えてください。
小正:焼酎業界をもっと盛り上げていきたいですね。その想いは年々強くなってきています。小正醸造はアメリカ、中国、東南アジアなど20か国以上に商品展開しているので世界中の方々に焼酎の魅力を伝えていく役割があると思っています。
新商品をよく打ち出す会社なので次の焼酎文化を構築できるような企業に発展させていきたいですね。
宇都:私は宇都酒造の技術者として“普通にうまい”ではなく“飛び抜けてうまい”焼酎づくりをしていきたいです。
「おいしい」と言っても角煮のようにとろとろしたおいしさもあれば、フグのような淡白なおいしさもあります。焼酎でどこまで味覚の表現ができるかわからないけれども、味のコントロールができる技術者になりたいと思っています。
温度や貯蔵方法などの管理をしっかりデータ把握をして、世の中の人に認めてもらえる味、今以上に飲んでもらえる味を作っていきたい。
小牧:営業に関わっていると、自分の想いを言葉にしなければならない。お金を稼ぐことに携わって、仕事には用途に応じた“スキル”が必要なんだと実感しました。
焼酎屋だからうまい焼酎をつくるためのスキルも必要。営業として言葉を操るスキルも必要。読書を自分に課したり、言葉に触れる機会を意図的に増やしています。
小牧醸造は中国・韓国・シンガポールなど海外展開もしているので、今は必死に英語も勉強中(笑)。
白石:お酒は嗜好品だから、世の中の人が絶対に必要というわけではないかもしれません。でも、人々の人生においてお酒がひとつの“彩り”として華を添える存在になるなら、その楽しみを提供してより多くの人に感動してもらいたいんです。
まずは作り手である自分が“感動”するようなおいしい焼酎をつくることが何よりで、その味わいを模索しています。人に感動を与えるには、まずは自分の心が震えないと。焼酎を表現する立場として、その追究に尽きます。
そして“焼酎づくり”で地域活性を図っていきたいんです。いちき串木野市のなかでも「市来」という地域で焼酎をつくる役割を与えられている身として、この土地でしか出せない味を探しています。原料から地元産を使用することで地域の方々にも参加していただくことになります。
郷土の芋焼酎を、地元の皆さんの応援をもらいながら誇り持てるものとしてつくっていきたい。
いくつになってもビビるものは、ビビる! やるしかないから飛び込む!
―若い世代のアルコール離れについて、どのような印象を持っていますか?
小正:今は「アルコール離れだから何とかしなければいけない」と対処をするよりも、お酒を飲む人たちのニーズに合わせて飲みやすくしたり、飲み方の提案をしていく必要があると思っています。まずは「お酒は楽しいもの」と貪欲に発信していきたいですね。
白石:昔に比べて物質的に恵まれて楽しみが増えているぶん、お酒が特別な存在ではなくなって、アルコール以上に魅力的なものが多いのだと思います。いっぽうで、若い世代は興味を持てば探究心が強いので、お酒が好きな人たちは熱心です。 自分が手がける焼酎の個性をしっかりと打ち出してつくらなければ、飲む人に伝わりません。飲んでもらいたい、選んでもらいたいという想いを常に持って、焼酎をつくっています。
宇都:お酒の楽しさやおいしさを覚える時って、まず最初に焼酎からは入らないと思います。入口はビールやカクテルから入ってもらって構わないんです。
小牧:本格焼酎は糖質ゼロですし、自分の体調に合わせて水やお湯と割って飲めます。ある程度、いろいろなお酒を覚えた時に焼酎の魅力にも目を向けてもらえるようなアプローチをしていきたいですね。
宇都:お茶の人気と通じるものがあると思っていて、今は濃い味のジュースが以前ほど飲まれていません。世の中の志向が、すっきり感や飲み疲れしない傾向を表しています。これは焼酎の長所を際立たせる傾向で、「食中酒」である焼酎は食事との相性がいい。実は、皆さんの食生活にとても馴染みやすいお酒なんです。興味を持って飲んでほしいですね。
―最後に、これから社会に出る学生にメッセージをお願いします。
小正:稼ぐことも大事ですが、それを超えた“仕事の楽しみ”を見つけてほしい。ここにいる4人は家業を強制されて仕事にしたわけではなく、皆さんと同じように数ある仕事のなかから酒づくりの仕事を選んだんです。
だから皆さんも自分自身が燃えられる仕事を選んでほしい。自らの力で仕事に燃えてもいいし、燃えている人からエネルギーをもらって仲間やチームとして燃える方法もありますよね。
宇都:仕事に就いた10年後をイメージしてほしいと思います。仕事は最低でも3年は続けないと技術やスキルが次のレベルに上がれません。石の上にも3年。私が杜氏を目標にしてきたように、皆さんも理想をイメージしてがんばってほしい。3年経っても楽しさや意義が見いだせなかったら方向転換したっていい。
小正・小牧・白石:確かにそう! 3年は続けないと!
小牧:世の中は理不尽なことしかない、ということを前提に考えてほしい。自分が望む望まない関係なく、会社では配属されたりします。自分の思い通りにいかないのは当たり前で、そのなかでみんな生きています。だからこそ、予期していない出来事に対しても飛び込む勇気を持ってほしい。
白石:人は何かしらの役割を持って生まれてくると思っています。目の前にある出来事にちゃんと向き合っていればあるべき方向に導かれる。だから恐れることなくがんばってほしい。何歳になっても、どんなキャリアを積んでも怖気づいたり躊躇することはありますから。
小牧:私たちは40代手前の年齢ですが、学生の人たちは20代前後ですよね。社会に対してビビる部分はあるだろうけど、「俺たちも常にビビっている!」(笑)。
小正:そう、今でもビビる(笑)。
小牧:10年経とうが20年経とうがビビるものはビビる(笑)。でも、でもやるしかないと理解しているから“飛び込む”。後ろを向く暇がない。
宇都:“好きなこと”だけをしていたいけれど、そういうわけにはいかないし(笑)。
小牧:みんな、焼酎に携われることが好きだしね。もっと販売店や飲食店と一体になって、皆さんに「國酒」である焼酎のおいしい飲み方を広めていきたい。
白石:4人とも焼酎に対して愛情を持っている。自分の仕事に誇りを持っている。
小正:まだまだこれから。焼酎を多くの人に飲んでもらうために、やるしかないから“飛び込む”!
宇都:やりがいがあるから、ビビっていても立ち止まっている暇はない。
4名:これから社会に出る皆さんにも、そう思える仕事を見つけてほしいです!!!
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